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テーマ:猫のいる生活(136218)
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頭は山に、両の眼は太陽と月に、脂は川と海に、毛髪は草木になった。
世界は巨人の身体から始まった。 これは中国の天地開闢神話です。 昔々、盤古と云う巨人がいて、この巨人が天と地を分かち、その死後、死体から万物が生まれたと云うもの。 世界各地にみられるのです。 古代インドの聖典であるヴェーダの1つ「リグ・ヴェーダ(中国語の密教経典では「梨倶吠陀」)」では、千個の目と千個の頭、千本の足を持つと云われる原人プルシャの身体から太陽や月、神々や人間など世界の全てが生まれたとされています。 古代イラン ゾロアスター教の聖典「ガヨマルト」にも人類の始祖が書かれています。 世界の初めには,万物に先立って最高神ズルバンだけが存在し,彼は世界を創造してその支配者となる息子を得るため,1,000年間にわたり犠牲を捧げ続けました。 そうして生れたのが、太陽の力と同一のものとされる光の存在「オルマズド」と闇(大悪魔)「アーリマン」です。 2人は双子でした。 ズルバンが2人のうち先に彼の前に来たものを世界の支配者とする誓いを立てたことを知ったアーリマン(闇)は、胎を破って先に飛出しました。 ズルバンは、そこでしかたなく彼に9,000年間世界を支配することを認め、以後は永遠にオルマズド(太陽)が王となることを決めたと云います。 オルマズドの子供として第6番目に太陽のように輝きながら生れたのが「ガヨマルト」です。 ガヨマルトはいかなるときも真実を守り抜くと云うことで、深く尊敬されていましたが、アーリマンによって殺されてしまいます。 しかしガヨマルトの体液の一部が大地に入り、そこから40年後に最初の人類である一組の夫婦が生じたと云う話しです。 北欧神話では「ギンヌンガガプ」と云う世界の創造の前に存在していた巨大で空虚な裂け目が登場します。 世界の始まりにおいて、寒気と熱気がギンヌンガガプで衝突しました。 熱気が霜に当たると、霜から垂れた滴が「毒気」となり、その毒気は「ユミル」という巨人に変じます。 その巨人ユミルは原初の牛アウズンブラの乳を飲んでいました。 ほどなく最初に生まれた神ブーリの息子ボルが、ユミルの一族である霜の巨人ボルソルンの娘ベストラと結婚し、オーディン、ヴィリ、ヴェーの3神が生まれます。 3神を含む巨人達は非常に乱暴で、常に神々と対立していましたが、巨人の王となっていたユミルはこの3神によって倒されるのです。 3神はユミルを解体し、血から海や川を、身体から大地を、骨から山を、歯と骨から岩石を、髪の毛から草花を、睫毛からミズガルズを囲う防壁を、頭蓋骨から天を造り、脳髄から雲を造り、残りの腐った身体にわいた蛆に人型と知性を与えて妖精に変えたと云います。 そして日本神話では、神の死体から穀物が生まれたことになっています。 「古事記」にはこう記されてます。 高天原を追放されたスサノオノミコトは、空腹を覚えてオオゲツヒメに食物を求めます。 するとオオゲツヒメは様々な食物をスサノオノミコトに与えました。 それを不審に思ったスサノオノミコトが食事の用意をするオオゲツヒメの様子を覗いてみると、オオゲツヒメは鼻や口、尻から食材を取り出しそれを調理していたのです。 スサノオノミコトは、そんな汚い物を食べさせていたのかと怒り、オオゲツヒメを斬り殺してしまいました。 すると、オオゲツヒメの頭から蚕が生まれ、目から稲が生まれ、耳から粟が生まれ、鼻から小豆が生まれ、局部から麦が生まれ、尻から大豆が生まれました。 と、あります。 ことさらさように、各地の神話や宗教で、マクロコスモス(世界)とミクロコスモス(身体)は対応関係にあるのが見えてきます。 世界を説明しようとすると、いきおい身体がらみの表現が多くなると云うシカケです。 中国の鍼灸のツボの一覧表「経路図」を見ると、同じ中国の「星座図」と驚くほどよく似ていることが分かります。 だいたい十進法にしてからが、人間の指を基本に成立しているワケですから。 それを物語るのが身体に関する「言葉」。 例えば、お腹のことを、卑しめたり罵しったりするときに使う言葉「土手っ腹」 よく映画なんかでギャングが「土手っ腹に風穴をあけるぞ」なんて云ってますね。 「五臓六腑」とか「土踏まず」とか「魚の目」とか「鳥肌」とか「二の腕」とか「愁眉を開く」なんてのもよく使います。 では、これはど~でしょう? 「刮目(かつもく)」 三国志で知将 呂蒙が云った言葉に「士分かれて三日なれば刮目して相待すべし」ってのがあります。 「士たるもの、別れて三日もすれば随分と成長してるものであって、また次に会うときは目をこすって違う目でみなければなりません」。 呂蒙は戦の才能には恵まれていましたが、もともと家が貧しく、学問に触れる機会がなかった。 無学を恥じ入った呂蒙は、発奮して本の虫となり、ついには専門学者の儒学者もしのぐほどになったのです。 久方ぶりに呂蒙に会った友人は、その博識ぶりに驚いたワケです。 「刮目」とは目をこすって、注意して見ることですね。 「三里」はわかりますよねぇ。 足の陽明胃経に属す45の経穴(ツボ)の一つ。ですが、一般に認識されている"足"の三里とは別に"手"の陽明大腸経にも三里と云う経穴があるので、足の場合は正確には「足三里」が正しい。 腹痛、下痢、嘔吐などの胃腸障害、膝痛や足のしびれなど足の障害、歯痛、歯槽膿漏などにも効くツボが足三里です。 夏バテ防止や冷房病対策などにも効果があります。 「馬手(めて)」はど~でしょう? 単純です「右手」のこと。 馬の手綱を取るほうの手のなので「馬手」。なので逆つまり左手は「弓手(かひな)」。 弓の名手、源為朝は弓手の腕が馬手より四寸(12cm )も長かったそうです。 「切羽扼腕」はご存じでしょう。 はなはだしく怒り非常に悔しく思うことですね。 「切歯」は歯ぎしり、「扼腕」は自分の腕を握りしめることです。 切羽扼腕は「史記」の「刺客列伝」が出所です。 「燕」の太子、丹は秦の人質でしたが、脱出して燕に帰り、秦王政の暗殺を企てます。 その暗殺者に選ばれたのが荊軻。 荊軻は、秦の将軍で燕に亡命していた樊於期の首と燕の肥沃な土地の地図を持参して秦王に近づき、隙を見て刺殺する方法しかないと考え樊於期にこの計画を話します。 樊於期は... 片肌脱いで腕を強く握りしめて、進み出て云いました。 「これこそわたしが日夜歯ぎしりして心を砕いてきたところだ」と。 そして自分で首をはねたのです。 こうして荊軻は樊於期の首と地図とをもって、秦王に近づくことに成功しましたが、もう一歩のところで政を打ち損なった。と史記に記されています。 もうひとつ「史記」から。 「怒髪天を衝く」です。 中国の戦国時代、当時の覇権国家 秦は弱小国 趙の王が和氏の璧という名のすばらしい玉を手に入れたと聞き、それを横取りしようとします。 一応「うちの城15個分あげるから」なんて調子のいいことを云うのですが、そんなものくれっこないことはわかりきったこと。 ただこの玉をやらなければ趙は秦に滅ぼされてしまうかもしれません。趙王は悩みます。 そこで藺相如という、趙の大臣の家でごろごろしていた居候が趙王に会って策を披露し、その案が受け入れられて彼はひとり秦に乗り込みます。 案の定、秦は城を渡す気などさらさらなく、周りにはべる女たちに見せびらかせて和氏の璧を横取りする気まんまん。 そこで藺相如は髪の毛を逆立ててこう怒鳴るのです。 「おのれ秦王め。やっぱり玉をただで自分のものにする気だな。だったら己の頭ともども、この玉をこなごなにしてやるから見ておけ!」 この気迫に驚いた秦王はふざけるのを止め、藺相如の話に耳を傾けます。 この時の藺相如の憤怒の様子から生まれた言葉が「怒髪天を衝く」です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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