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テーマ:猫のいる生活(136420)
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「妖精が見える」とフランシスが云うのを、嘘をついていると思っている叔母。
「じゃあどうして私には見えないの?」意地悪を云うと... 「大人は信じることをやめたから」。 妖精も天使もそして幽霊も、信じる人にしか見えないものなのです。 と、云うお話は1997年のイギリス映画「フェアリーテイル」 ある日、遊びに出かけた近所の小川で写真を撮るのですが、その写真には美しく光る妖精が写っていたのです。 その写真がやがてイギリス中を巻き込む大騒動へと発展していくと云うストーリー。 その事件と云うのが「コティングリー妖精事件」。 コティングリー妖精事件とは、イギリスのブラッドフォード近くのコティングリー村に住む2人の従姉妹フランシス・グリフィスとエルシー・ライトが撮ったという妖精の写真の真偽をめぐって起きた騒動のことです。 最初の写真は1917年7月に撮られました。 妖精がフランシスと一緒にいる写真をエルシーが撮ったのです。 彼女たちは、1917年~1920年の間に全部で5枚撮影しました。 妖精は、小さい人の姿で、1920年代の髪型をし、非常に薄いガウンをはおり、背中には大きな羽があります。 1枚の写真にはノーム(大地の精霊)が写っており、そのノームは身長約30cm くらいで、エリザベス朝時代の格好をして背中には羽がありました。 それは「シャーロックホームズ」でお馴染みの小説家コナン・ドイルが関わったからです。 ドイルは専門家とともに写真を調べあげ、トリックの可能性はないとして雑誌に発表したのですね。 これを契機に新聞、雑誌などメディアが注目し、田舎町コティングリーに記者や観光客が押し寄せる騒ぎとなってしまったのです。 騒動には神智学者のエドワード・L・ガードナーも関与しています。 最初の妖精写真はエルシーの父親から借りたカメラを使って撮られたものですが、それから3年後に写真に関心を持ったガードナーが新しいカメラを渡すと、少女たちはさらに3枚の妖精写真を撮ったのです。 このようにドイルやガードナーと云った、当時、著名人だった人物がそろって写真は本物と云ったことから、信憑性や話題性が増してしまいました。 そしてこの時期がヴィクトリア朝時代から続いていたイギリスでの妖精ブームの末期に重なっていたのですね。 また、撮影したのが少女だったため、子どもに捏造する技術はないハズと云う大人の勝手な思い込みも、事を複雑にしてしまいました。 しかしガードナーは、神智学者なんていかにも胡散臭そうな人物ですから分かりますが、シャーロックホームズのような探偵小説を書いてるドイルまで、なぜ簡単に騙されたのでしょう? 実は、ドイルは「オカルトマニア」としても有名な人物で、心霊研究家と云うのはえてして都合のいいように自分自身まで騙してしまうのですね。 コティングリー妖精事件はドイルが死去すると人々の記憶から忘れられていきました。 ところがドイル死去の36年後に世界中を驚かせることが発表されます。 1966年の「デイリーエクスプレス」誌に、撮影当時 少女だったエルシーが偽造写真であることを告白したのです。 「あの写真は、私とフランシスの想像の産物です!」 しかしPotoshop なんかの無い時代です。 写真はどのように撮られたかのでしょう? 答えは単純なものでした。 妖精の形をした平らな紙の切り抜きをピンで止め、写真に撮ったものだったのです。 周囲の背景や人物が、シャッターが下りる瞬間わずかに動くために輪郭がぼやけるのに比べ、妖精の輪郭が明瞭であることから、妖精はシャッターが下りる間も静止している。 すなわち作り物ではないかという指摘が当時からあったのですね。 その後、1915年に発行された子供向けの絵本「Princess Mary's Gift Boo」の中に、写真とそっくりのポーズをした妖精の絵が掲載されているのも発見されました。 この絵を模写して切り抜き、帽子止めのピンで固定していたことを、高齢者となった少女たちは告白したのです。 コティングリー妖精事件は「最も多くの人々を最も長い間だましたトリック写真」としてギネスブックに載ることになりました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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