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耳(ミミ)とチャッピの布団

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Jul 15, 2021
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カテゴリ:カテゴリ未分類
お婆さん役の女優さんと云えば、菅井きんがダントツに有名でしたね。
この人、役者になる前は東大(東京帝国大学)の事務員だったのです。

同じようにお婆さん役が似合って、役者前の前職が同じく普通のOLだったのが飯田蝶子。
こっちは松坂屋上野店の店員でした。
飯田蝶子は、このとき呉服売り場で人気女優のマネキンの披露があって、モデルの女優が松坂屋に来たとき、女優の後ろに店員がぞろぞろくっついて歩くのを見て、女優と云うものに憧れるのです。
後に浅草の公園劇場で常打ちしていた中村又五郎一座の女優募集を新聞広告で知って、応募して採用されます。
ところがやっと女優になったと思ったら、翌年には座長が亡くなって一座は解散してしまうのですね。
その後、アルバイトをしながら映画会社の女優募集に応募するのですが、ことごとく空振りに終わります。
そして運命の松竹蒲田撮影所に入所なんですが、これまた一筋縄でいかなかった。
それは飯田のにありました。
女優にするには、あまりに不美人だったからです。
1922年(大正11年)、友人と松竹蒲田の女優募集に応募します。
面接を受けると、美人な友人は採用され、飯田は不美人という理由で採用されなかったのですね。
そこで飯田は「女中などの脇役は美人がやると不自然で、自分のような不美人が脇役に合っている」と自説をまくしたてると、監督で所長をやってた野村芳亭(日本映画の基礎を作った功労者の1人)が共感し、無給の見習女優としてテスト採用されるのです。

日本映画初期の人気女優"栗島すみ子"の草履揃えから仕出しまで何でも献身的にこなしたのですね。
栗島すみ子は教えることにも熱心で、数万人と云われる弟子の中には、飯田蝶子の他に、淡島千景や池内淳子なんかもいます。
そんな飯田の熱心さを認めた松竹蒲田はテスト採用の翌年、1923年、月給10円で正式採用を決めます。
と云っても、この当時、長屋の家賃が約10円くらいですから、生活には困窮してたでしょうね。

このとき、初めて「飯田長子」と云う芸名をもらうのですが、あくまで大部屋の一員です。
主役級の俳優は出演本数に基づいて出演料が支払われましたが、大部屋俳優は定額の月給制で、危険を伴う演技など何らかの特別な場合に一定の手当が加算される形式です。
大部屋の俳優は端役を演じるのが専門なので、出演者としてクレジットされることもあれば、エキストラ同然の扱いでクレジットされないこともあります。
大部屋から出世した俳優では川谷拓三が有名ですが、デビュー作は東映作品「ひばり捕物帖 振り袖小判」の"死体役"でした(笑)
最初の飯田は仕出し(通行人などの端役)ばかりでしたが、栗島すみ子の旦那さん池田義信監督の「闇を行く」で色気のない女土方を演じたら、それが監督の目に止まり出世作となりました。
次いで蒲田映画の一翼を担った牛原虚彦監督の「人性の愛」で老け役を演じると好評を博し、ボーナスを貰った上に月給は50円になったのです。






下の画像は今井正監督で1951年(昭和26年)公開された映画「どっこい生きてる」のワンシーンです。
このとき飯田は54歳。
立派にオバサン役をこなしています。
この作品は今井監督 初の独立プロ作品で「1口50円の出資者」を募集して、400万円の製作費で作られました。
森繁久彌の大ヒット「社長」シリーズにも飯田が登場してます。
1961年(昭和36年)の「社長道中記」で、列車の老婆役で出演。
缶詰会社の社長である森繁が大阪へ出張の際、新幹線で隣の席に座ったおばあさんが飯田。
この飯田がふんふんと歌う鼻歌「かんかんのう~、きゅうのれつ」というフレーズにヒントを得て、森繁は自社製品のCMソングを思いつくというシーンです。


加山雄三主演の大ヒット映画「若大将」シリーズには第1作目の「大学の若大将」(1961年)からずっと、加山演じる田沼雄一の祖母役で出演してました。
この祖母は1970年の「俺の空だぜ!若大将」まで、つごう15作も登場してます。

この加山の祖母ってのが明治生まれだけど、新しもの好きで加山の理解者でもある。
作品ごとにボクシングだったり、007だったり、はたまたエアロビ、ゴルフ、英会話と凝ってるものがどんどん違ってきます。
シリーズ最終作の「帰ってきた若大将」(1981年)では、飯田が既に他界していたため、写真で出演しています。







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Last updated  Jul 15, 2021 05:04:44 AM
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