|
テーマ:猫のいる生活(136651)
カテゴリ:カテゴリ未分類
世界で最初に有人宇宙飛行をしたのは勿論、ソ連のガガーリンです。
1961年、ボストーク1号はガガーリン少佐を乗せて地球を1周した後、逆噴射をかけ大気圏に再突入後、高度7,000m でガガーリンは座席ごとカプセルから射出され、パラシュートで無事帰還しました。 こうして有人飛行前からの米ソ両国による宇宙開発競争が激化していったのですね。 それに休止符を打ったのは1969年のアポロ11号による月面着陸。 人類を月に送ったことは人類の新たなる一歩を意味し、アメリカとソ連の宇宙開発競争でアメリカに劇的な勝利をもたらしたワケです。 ガガーリンの飛行前に打ち上げられた1961年の実験では、モスクワ大公イヴァン2世"イヴァン・イヴァーノヴィチ"の名を冠した人形が打ち上げられ、そして無事帰還しました。 イヴァンが帰還したとき、付近の農夫がこの人形を気絶した人間と思って気付けにウォッカを飲ませようとしたところ、顔面に「模型」と書かれた紙が貼り付けられていたと云います(笑)。 月面着陸ではアメリカに遅れをとったソ連ですが、それでも競争の初期段階ではソ連の方がアメリカより先行してました。 1963年に打ち上げられたボストーク6号には、人類初の女性宇宙飛行士"ワレンチナ・テレシコワ"が搭乗してました。 このテレシコワの偉業につして、極秘にされてたことがソ連崩壊後に初めて公表されました。 ・打ち上げ初日には、ミスにより宇宙船は地球からどんどん遠ざかっていくように、つまり帰還できないようにプログラミングされてることが分かりました。 ・宇宙服の設計がぞんざいだったため、テレシコワは脚を痛めた他、ヘルメットのせいで肩は圧迫され、頭部にかすり傷を負いました。 ・さらに飛行中には嘔吐もしたと云う。 ・帰還時には、テレシコワは宇宙船をうまく誘導できず、降下が始まる直前には通信も途絶えてしまいました。 管制センターは着陸完了から2時間もの間、宇宙船の位置を把握できず、救助隊がテレシコワをようやく発見した場所は想定していた地点から数十km も離れていたのです。 こうした事実は、当時、史上初の女性による宇宙飛行の偉業を台無しにしないために公表されなかったのです。 テレシコワの飛行がボストーク計画の最後となりました。 テレシコワはその後、政界に入り、2003年にはプーチン率いる政権与党「統一ロシア」から出馬、当選を果たすと、2020年には下院本会議上で大統領4期目のプーチンが続けて5期目に立候補できるよう、ロシア憲法改正案を提案。 上院、下院ともに通過させた張本人です。 さて、ここからはロシアが真相を公開しないかぎり、事実かどうか確かめられないお話です。 この話は折りにつけ触れられてるのでご存知の方も多いでしょう。 ガガーリンが人類初の有人飛行をしたのは1961年4月12日。 テレシコワが女性初の有人飛行をしたのは1963年。 ガガーリンが飛行した少し後、1961年5月にイタリアの無線愛好家兄弟が「燃えゆくソ連の宇宙船から助けを求める女性宇宙飛行士の声を傍受した」と主張、これを録音したものが公開されてるのです。 Lost Cosmonaut 残された音声は生々しいトーンで、徐々に悪化する船内の状況を訴えています。 「どう発信すれば?そう...」 「何?」 発信を開始。 「聞いて...聞いて!」 「応答せよ、応答せよ、応答せよ。話して!話して!」 「私は暑いです! 」 「何?」 「暑い!」 「え?」 「45℃」 「何?」 「45...50℃」 「はい?」 「呼吸、呼吸。空気、空気。 暑いです。これは危険ではありませんか?」 最後には炎がコックピットに達したのか、このような言葉が残されています。 「炎がみえる。炎がみえてる!暑い。暑い!」 「墜落するの?暑い。暑い!...再突入する!」 ただ、この音声データの信憑性を疑う人もあり、真実はロシアのみが知ることなんですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|