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テーマ:猫のいる生活(136087)
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作家の井上靖と司馬遼太郎 共著「西域をゆく」に見られるように、私たち日本人には全く縁のない土地にも関わらずシルクロードと云うのはなんともロマンを感じる方が多いのではないでしょうか。
シルクロードの中国側起点は長安(現在の陝西省西安市)、欧州側起点はシリアのアンティオキアとする説が有力ですが、もともとシルクロード自体がどっかの国や組織が決めたワケぢゃないので、どこが起点など無いに等しいのですね。 「西域をゆく」では新疆ウイグル自治区のことに触れてますが、新疆ウイグル自治区は、習近平による凄まじいまでの弾圧と迫害であんなになってしまったし、有名な敦煌市も甘粛省北西部にあるから、外国人と見たら理由もなく拘束する中国ではとても行く気にならない。 イスラムの国だから治安が...と思ったら、日本と変わらないくらい治安が良いらしい。 ウズベキスタンの首都がタシュケントなのくらいは知ってますが、隣国カザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタンも含めて全く知識がありません。 同じ隣国のアフガニスタンだって、ターリバーンが掌握して以来、国民の生活が極端に困窮してるくらいしか知らないし。 1966年、タシュケントを震源に大地震が起こり、市内の建物のおよそ2/3が倒壊する大惨事が起こりました。 このとき中央アジア最大のバレエ・オペラ劇場「ナヴォイ劇場」だけはまったく無傷だったのですが、なんとこの劇場を建てたのは日本人です。 第2次大戦後、シベリア抑留日本人捕虜はソ連によってタシュケントにも回され、ナヴォイ劇場の強制労働に従事したのです。 それが大地震でもビクともしなかったのですから、なんとも見事な仕事ぶりだったのですね。 ウズベキスタンはシルクロードの中心地として、ユネスコ世界遺産の宝庫です。 青の街サマルカンドや茶色の町ブハラ、ヒヴァ、シャフリサブス、仏教文化のテルメズなど世界的に有名な歴史的遺構へ観光客が急増。 政府も観光誘致を盛んに行っていて、海外ホテルチェーンの大規模ホテルが多く運営されています。 16世紀初頭~20世紀初頭まで存在したヒヴァ・ハン国の首都です。 ここの「タシュ・ハウリ宮殿」は1830年~1838年のアラクリ・ハーンの時代にキョフナ・アルクに代わる新宮殿として建立された「石でできた庭」を意味する宮殿です。 タシュ・ハウリ宮殿には、3つの中庭と163の部屋があり迷宮のよう。 ハーレムの木柱の彫刻や天井の装飾はヒヴァの建造物の中でも特に繊細で絢爛豪華だそうです。 インドやパキスタンみたいに小汚い客車と、列車の屋根に群がる人を想像してたら実物見て唖然としますよ。 これがアフリカなんかの国でホームステイと云うと拒否反応でますが、シルクロードの村でとなると興味もわきますね。 とにかく人々は親切で、お宿も小綺麗なとこばかりらしい。 ウズベキスタンもイスラム圏ですから、食事がおわったら「ごちそうさま」の代わりに「両手で顔を洗うときのような仕草を一度する」のが食事マナーです。 このとき手が顔に触れてはいけません。 イスラムの礼拝の仕草と同じですかね。 しかしYouTube なんかで観ていると、食事前にも同じ仕草してます。 イスラム教徒に物を渡すときは左手を使ってはいけませんね。 左手は不浄とされています。 このあたりのパンは丸い円盤型で、径20cm ~50cm まで様々ですが、ナイフを使って切るのはダメで、必ず手でちぎっていただきます。 多人数が同時に食事するときは、自分でパンをちぎるのもご法度で、年長者なんかがちぎって配るようです。 そのパンを、例えテーブルに皿があっても、テーブルに直接おくと云うのがマナーらしい。 この食事でオモロイのが「プロフ」と云う、ウズベキスタンだけでなく中央アジアどこへ行っても主食として食べられてる「焼き飯と云うより炊き込みご飯」が有るのですが、このプロフがトルコに渡り「ピラウ」と名前が変わり、フランスに伝わって「ピラフ」になったのですね。 驚くことにプロフと同時にパンも一緒に食べるのですね。 つまりパンを片手にプロフを食べてるワケです。 パンと炊き込みご飯ですよ~ なかなかでしょ。 つまりお隣の人と同じお皿をつつき合うワケです。 たとえ隣が見知らぬ人でも、ルールは同じ。 ひとだけ別皿でと云うのは有りえません。 まぁ、イスラム圏ですから、日本人には戸惑うことも有るでしょうが、なかなかに魅力的な国ですね。 とくに地方に行っても、見るものが沢山あるのはやはりシルクロードの国ならでは。 これで、もっと近かったらねぇ。 限りなく遠いなぁ... お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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