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テーマ:猫のいる生活(138790)
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太平洋戦争中に日本陸軍によって決行された「インパール作戦」は、牟田口中将の強硬な主張により行われましたが、兵站を無視して行ったため多くの犠牲を出したことで、日本軍における「史上最悪の作戦」と云われてますね。
インパールは、インド北東部マニプル州の州都で、かつてマニプル王国の首都だったところです。 このインパール作戦で、ビルマ戦線は崩壊しました。 これを期に日本軍の連合軍に対するアジア優位が失われ、以後ビルマを失い南方戦線は崩壊するのです。 売ってるのは、野菜や魚から果物や香辛料、衣類、おもちゃ、食器などと、どこの市場で売ってるものと同じですが、男性の店主や売り子が禁止されてるのが特徴です。 男性の店主や売り子が市場内で発見された場合、州政府によって処罰されるのですね。 なんで女性だけの市場が出来たかと云うと、1533年に「ララップ・カバ」と云う労働制度が導入されたためです。 ララップ・カバと云うのは、この地がミャンマーと国境を接するため、住民の大半がメイテイ族と云う少数民族なんですが、彼らの内、男性は遠く離れた土地で働くか、軍隊に勤務することが義務付けられたのです。 この制度のため、女性は畑を耕したり織物を織ったり、その製品を市場で売ったりして家計を支えなければなりませんでした。 それがイマ市場へと発展して現在に至ってるのですね。 市場は組合によって管理されており、常時約5,000人~6,000人の女性行商人が集まります。 その売り子の女性たちは、少なくとも1度結婚した女性のみが屋台を出すことを許可する習慣が残っています。 市場で販売するには、退職する女性販売者から新しい販売者が紹介される必要があります。 現在の売り子は主に45歳~70歳が大半を占めてます。 売り子をする女性の中には、離婚した人や「マニプールの衝突」で夫を亡くした人も含まれています。 マニプールの衝突はメイテイ族(ヒンズー教徒)とクキ族(キリスト教徒)の根強い部族間闘争で、昨年も衝突によって120人が死亡してます。 さて、血なまぐさい話は置いといて、イマ市場の売り子たちを見てください。 なんか日本の農村部に普通にいるオバアチャンにも見えますがな。 そうなんです、この地に暮らす人々は、チベット・ビルマ語を話すメイテイ族が中心ですが、彼らはチベットやビルマ(ミャンマー)、タイなどから移り住んだ人々の子孫が中心なんです。 インパールの中心部にカングラ宮殿と云う遺跡があります。 この宮殿は、インパールがかつてマニプール王国の都であったことの象徴なんです。 メイテイ族が中心となって構成されたマニプール王国は、1891年に英国領インドの下で保護国である藩王国となりますが、1949に当時のマハラジャ(国王)がインド政府との合意書にサインしたことでインドに併合され、王国は消滅してしまうのです。 メイテイ族は主に平野部に暮らしてますが、それ以外に32の部族がいて、それぞれ異なるアクセント、服装、習慣、伝統を守ってます。 丘陵地帯の住人にはキリスト教徒が多く、インパールとその周辺にはイスラム教徒も住んでいるのですね。 とにかく宗教が入り乱れてて、ヒンドゥー教やキリスト教からイスラム教、土着信仰、仏教の信徒がいる地域もあります。 これがインパールの政治情勢を複雑にしてる元凶なんですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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