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カテゴリ:文化
商売上手になりたい。
というか、好きなものを「商品」としてみる覚悟がほしい。 私は古本屋や古着屋、レコード屋が好きで暇さえあれば行くのだが、そういう生活を長く続けていると少しずつ全体の相場が見えてくる。そうすると自然に「これはちょっと安いな」とか、「ちょっと高くね?」とかが分かるのだが、基本的に自分が欲しいものしか買わないのでもったいないといえばもったいない。 昔はそれでも「レアなものが安い」となれば必要ないものでも買ってしまっていたのだが、部屋のスペースに限りがあることと、読まない本や聴かないCD、着ない服などはあっても仕方がないというか、必要ないのに持っていることはモノに対して申し訳なくなってきたのだ。私はコレクターではないので、今では逆にモノの「正しい居場所」に対して考えてしまう(「レアだった」「安かった」というのは結局無駄遣いでしかない、ということに気付いたせいもあるが)。 古本の世界には棚から相場より安い本を見つけて転売する「セドリ屋」という商売がある。ファッションの世界では裏原ブームの頃から限定品を転売目的で購入する「転売ヤー」(「転売」と「バイヤー」をひっかけた言葉)も定着している。私は何てことない古本屋やリサイクルショップでゴミ同然の値段がついたレア物を見つけるのが得意で、こういった商売に向いているような気がしなくもないのだがどうも踏み切れない。「出来るだけレアなものを出来るだけ相場より安く」と言っているのと矛盾しているような気もするが、やはり自分にとっての価値を優先しているのだ。 きれいごとを言ってしまったが、結局はオークションなどを使って転売をするのが面倒、ということにいつも落ち着く。「寝かせておけば倍になる」といっても、寝かせている間もそのスペースに家賃が発生するわけで、トータルするとあまりうまみがないような気がするのも一因だ。やはり商売は気楽に出来るようなものではないのかもしれない。いっそ本業の傍らどこかに場所を借りて店でも開けばいいのだろうか。家賃を稼ぐので精一杯になりそうだが。オークションを見ていると、どう考えてもまったく割に合わないものを出品している人をよく見るが、あれは「儲ける」というより「出品」を楽しんでいるのだろう。その次元でさえたどり着けない私は、どうにも商売には向いていないようである。 そうは言っても、部屋の不用品たちは早くどうにかしなければならない(最初に戻る) 最近みかけなくなってきたケッズ。スニーカーは履き潰した頃に入手困難になるので余計に捨てられない ![]() 【レビューを書いて50%OFF】いつもとは違うカラーにチャレンジしてみたい人に【%OFF セール SALE アウトレット】【Pro-keds】プロケッズ ロイヤルアメリカ LO 全6色 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.11.26 18:25:28
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