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カテゴリ:あの頃
沢田研二さんが、60歳を迎えての記念コンサートをしたとTVで垣間見ました。
が、しかし・・ 絶句であります。 よく肥えられましたね。 まるでメタボリックロッカーであります。 沢田研二さんといえば、ソロでも随分と活躍したのですが、ソロになるその以前は、グループサウンズ全盛期のザ・タイガースとして、堺正章さんのスパイダースやブルーコメッツと、数あるGSの中での人気は断トツでした。 GS(ガソリンスタンドではありません。グループサウンズであります)のなかには、萩原健一ことショーケンがリードボーカルをしていたザ・テンプターズというのもありました。 そのザ・テンプターズの演奏を、銀座にあったライブハウスACB(アシベ)で観ました。 高校の修学旅行の時でした。 コーク付きで450円だった? 遠い遠い、昔の思い出です。 そんなGSやビートルズやローリングストーンズが流行っていた時代。 そうそう、高校一年の時には、加山雄三さんも、あの大ヒット曲「君といつまでも」をひっさげて歌手デビューしたばかりでした。 それから市川染五郎の「野バラ咲く路」も大ヒットでした。よく歌番組に出ておられました。 この歌は、当時の私にとても新鮮に聴こえてきて、私の大好きな曲でした。 野バラ咲く路 もちろん今の染五郎のお父さん。 資生堂のMG5と好みを二分していた、ライオンから出ていた硬派的「バイタリス」という整髪料のCMにもお父さんは出ていました。 精悍さがあり格好よかったです。 あの頃と今も、市川幸四郎さんは変わっていないような気がします。 あの時代聴いた多くの思い出のレコード、押し入れのどこか隅に今もあると思います。 そのGS時代。 私の青春高校生は、学校にエレキを持ち込み練習。 夜は、バンド仲間の1人の家が経営するダンスホールで演奏。 夏祭り、運動会、キャンプ場・・いろんなところで、5人で演奏していました。 そうそう演奏大会にも出場しました。 もちろん見事三位入賞です。 審査員のなかに、バンド仲間の1人の親父がいました・・・ “^_^” 色あせた懐かしき一枚。↓ 田舎のザ・タイガースです。 今は・・・ 沢田研二さん同様、メタボリックのどつぼにはまっています。 ところで・・・ ここだけの話ですが・・・ 私、ベースやっていたんですが、 実は、音符読めないんです。^_^; 美空ひばりさんも確か読めないのです。(^^) 爽やかさ溢れる?田舎のジュリー ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。 北九州市詩的写真集☆花・空・海・無料素材ブログ よびりんさんの新刊誰も教えてくれなかった社長業 新刊『半分の法則』↓ 私はもう読みましたよ。とても為になり誰もに役立つ、目からウロコ的法則。 人生に・経営に成功する半分の法則 半分の法則応用編 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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