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悠遊自手記@kyoto

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2023.05.26
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カテゴリ:登山
​22日~26日 4泊5日(内フェリー泊2泊) で福岡、佐賀、長崎の4座に登って来ました。

本論に入る前に前章を
前日に「歌の中山」を通りました。
「歌の中山」とは前にも書いたかと思いますが・・・清水寺の音羽の滝から裏門を出て清閑寺・高倉天皇・六条天皇陵へ向かう5~6分の細い道なのですが、清水寺からここまで足を延ばす人は殆どいないので東山トレイルを歩く人以外人影もあまりなく、静かな径だったのです。

その道が・・・・今は途絶えることが無い程外人さんがゾロゾロ歩く径と化したのです。







何か外人向けのガイドブックで紹介されたか、netで取り上げられたいるのだと思うのですが、間違いなく日本人より外人が多い径になっているのです。

その先にある高倉天皇陵清閑寺平家物語ゆかりの地で有るのですが、今回の九州登山で初っ端に訪れた山で平家物語ゆかりの地、平家が滅亡した壇ノ浦を遠望したのです。

壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇は高倉天皇の子供、そして助けられた安徳天皇の母平徳子京都へ護送され出家して寂光院で建礼門院となったは平清盛の娘でした。

上述の高倉天皇が余りに後宮の小督(こごう) を寵愛するので立腹した時子の父・清盛が小督(こごう)を出家させたのが清閑寺なのです。

・・・・で、今回の最初に登った山は
壇ノ浦を遠望出来て、宮本武蔵と佐々木小次郎決闘の地の巌流島を見下ろせる、門司風師山でした。
ついでながら、天皇陵の御朱印を集めている時、ここだけは行けないと思った安徳天皇陵を検索しますとここでした。(朱印はここへ行かなくて泉涌寺にある宮内庁の事務所で貰いました)

さて、本論ですが・・・
大阪南港から山友達4人でフェリーで新門司港へ・・・17時に出航して新門司港へは翌朝5時半着、今回は個室でした。 


新門司港で上陸して、直ちに風師山へ向かい30分程で登山口に到着。


風師山(かざしやま)・風頭(かざがしら)へ向かいました。


先に行ったのが眺望の良い風頭。
真下は関門海峡・・・向いは下関、正面に巌流島です。



数年前にこの巌流島へ船で渡ったことあるのですが、この様に俯瞰して地理上の巌流島の位置が明確になりました。

そして、右に遠く見える関門大橋の向こうが壇ノ浦です。


そして、左は北九州・門司の街です。


幕末に長州藩とイギリスなどの連合国が戦った下関戦争、巌流島、壇ノ浦など歴史上の出来事を俯瞰? 出来る素晴らしい眺めでした。

続いて、風師山へ・・・


山頂は眺望か無くこんな感じでした。


直ちに下山開始・・・朝飯前ではないですが、次の佐賀県へ向かう前のひと登り、
1時間51分の足慣らし登山を済ませ、佐賀県嬉野温泉に向かいました。

明日に続きます。







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最終更新日  2023.05.27 06:40:48
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