コンフィギュレーション
ひとつひとつの音階がメロディーをつくるように、個々の要素がまとまって、ある意味を成す。音楽であれば、私たちは音の集まりを「クラシック音楽」として楽しんだり「ジャズ」と分類したりする。だが、それらの私たちを楽しませてくれる表現(芸術)は、細分化してみると、単純に「音」なのである。音楽同様に、私たちは自分の行動に、無意識に、学習による意味づけをしてしまっている。例えば「歩く」という行動は、本来は体重移動そのものである。「取る」という動作は、何かに手を伸ばし、目標物を手で掴み取ることである。先日の横浜読売カルチャー「実践ボディワーク」では、こうしたスキーマから離れ、動作本来の意味を捉えていこうとする試みを行なってみた。これは、メルロ・ポンティによる「分布=コンフィギュレーション」という思想をベースにした演習だ。昨年12月に、サルサスタジオ「ロス・サルセーロス」主催で「サルサのためのボディワーク・ワンデーワークショップ」を行なわせていただいたときも、認知枠を取り払い、動作の細分化を行なうことについて簡単な体験をしていただいた。ばう犬のブログにもあるように、体性感覚に留意して生きることは瞑想的だ。そして、自由をもたらしてくれる。ベトナムの僧侶であるティクナトハーン師が目指そうとしたものは、こうした境地だったのかも知れない。