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テーマ:気になったニュース(30259)
カテゴリ:分類困難
やや遅い話題だが、能登地震の報道を見るとどうしても思い出す光景がある。29年前は今ほどSNSのような手段もなく、TV報道だけが手段だった。頭に三角巾で応急処置を受けた老婆が民放貴社の取材に応じ、淡々と状況を話している。話を聞いてインタビュワーは泣き出してしまい、取材にならなかった。その間も訥々と話す老婆。
能登との違いは都市と田舎の違いが大きいと思う。神戸の時は大阪も姫路もほぼ被害がなく、海路の応援もすぐに対応された。陸路はその時の勤務先からも10トンのローリーに水を積み込んで発車させたが、通常2時間もあれば着けるところが8時間もかかった。大地震では陸路は混乱の元だった。携帯電話も普及する前で、公衆電話を見つけては「まだ明石です。動きませんわ」と連絡してくる有様だった。 あの時も1月。知り合いに餅を送って喜ばれた。電気が通じたばかりに起きた火災もあると聞いた。コミュニケーションが取れていれば免れた災害もあったかもしれない。 それまで、「関西は地震とは無縁」という根拠のない常識?が罷り通っていたが、見事に覆されて「いつどこにくるかわからない」災害になった。プレートが押し合う位置にある日本には地震は避けられない。地殻変動で港も使えないほどの隆起があったとも聞く。 災害は忘れた頃にやってくる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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