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テーマ:鉄道(21855)
カテゴリ:鉄道
今日10時30頃線内普通君から京急ステンレス1000形が動いているとの情報が入り一緒に撮影しました。
それはまた後で書くとして撮影後神奈川新町駅で下車したときに友人があるところに案内してくれました。 テレビで紹介していて知ったとのことで・・・ 友人曰く外にある数少ない(もしかしたら唯一)の横浜市電の遺構だそうです。 駅から3分くらい歩いたでしょうか・・・ コレです。 ▲→の付いている柱 これがなんなのかって言うと、恐らく道の反対側にもうひとつあったんでしょう。 その間を線が通っていて、それに電車の電気が流れている架線が付いていたわけです。 まぁ架線柱みたいなものです。 路面電車は一般の鉄道のように鉄骨を組んだような大きなものではありませんからね。 路面電車の写真をみると縦横に電線みたいのが張り巡らされているように見えるのはこのためです。(最近はセンターポール化なども行なわれていますが) ▲上部アップ 90年代はこの柱はもう少しいろいろなところにあったようですが道路改良などにより今確認されているのはココだけのようです。 でこの柱、市電の遺構であると同時に戦争の惨禍を伝える貴重なものらしいのです。 柱の下部がへこみ、穴が開いておりその中になんかこの柱が砕けたようなものと他謎な物が入っています。 ▲穴部分アップ これは第二次大戦中の爆撃の跡のだそうです。 横浜大空襲ってのもありました。 ただこの細い柱のど真ん中によくあたっていますね。無数に撃たれた機銃掃射のものでしょうか。 他に横浜の空襲を伝えるものは京急の横浜~戸部にある平沼駅跡も有名ですね。 そういえば機銃掃射の跡って確か万世橋ガードにもあったような気がします。 ここ国道15号を走っていた市電は生麦付近から来ていた「生麦線」と呼ばれた線のようです。 1966年、市電で一番最初に廃止された須崎神社前~神奈川会館前~生麦に含まれます。 それなのに今、遺構が残っているのは驚きです。 ▲市営バスと・・・ 現在この区間は横浜市営バスが走っています。 ここは今までも通ったことがありますがこの事実を知ったとたんこの柱の存在感が私の中でかなり大きくなりました。 電車がバスになった今もずっと横浜市の交通を見守っています。 市電が存在していたことと戦争の惨禍を今に伝える小さな遺構ですがいつまでも残ってくれることを願います。 場所はこちら お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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CATVで同じ架線柱の特集を見てから、ずっと気になってました。
やっとタイミングがあって行ってみたら、、、電線地中化の流れなのか?無くなっていました。悲しいですね。 (2021.11.04 16:59:35) |