|
カテゴリ:ほんわか介護、認知症とつきあう
『明日の記憶』荻原浩著(光文社)は若年性アルツハイマー症に罹患した男性の目から描いた一人称の小説です。
それを渡辺 謙主役で映画化され、今話題になり始めています。 アルツハイマーを描いた物語はこれまでも沢山あります。 じつはこの本は本屋で立ち読みしました(買いなさい)。ぱらぱら読んでだいたいの内容はつかみました。 アルツハイマーについては、私はすぐそばで目の当たりにしてきました。 短気記憶が失われるのは海馬が浸食されるから・・ 人格が変わるのは前頭野が萎縮していくから・・ 確かにこの小説はよく描かれています。アルツハイマーの方ならそうだ、そうだ。よく言ってくれた。と感じることでしょう。 かなり長くこの主人公の人は自分を失っていません。 またこの人は陶芸の趣味があるのですが、その先生もアルツハイマーのようでした。 二人は失われていく短気記憶や残されている長期記憶をかき集めながら、作品を焼こうとします。 しかしアルツハイマー型認知症なので、先生は釜を使うのは禁じられていたような・・、ああ、野焼きで茶碗を焼くようです。縄文土器は野焼きで焼きますよね。 思っているような茶碗にならないけれど・・ でもそれはそれでいい。みたいな所まで立ち読みしました(買いなさい)。 けっこう引き入れらられてしまって、立ち読みというか長読みしてしまいました。すみません。「バカの壁」も立ち読みで200ページまで読んでいます。そこまで読むと買う気にならなくていけませんが・・。 さて、どうしても小説なのできれい事になっていると思ってしまいます。 もっと壮絶なのに・・、ただ、最近はかなり真実に近い描き方をしているとは思っています。 この明日の記憶はかなり良くできていると思いました。 私はよく物忘れします。その分記憶力がとてもいい。 え、矛盾している・・。 新しいことを覚えると古いことを1つ忘れる。もしくは興味のないことは何遍言われても忘れる・・。 アルツハイマー症は壮絶と書きましたが、それも違っています。実際は毎日毎日が本人には整合性があり、他人にはサプライズなだけなのです。 たとえば、衣装箱から切ったメロンが皿に盛ったまま2皿も入って、その横にチャーハンが皿に盛って入っています。せめての幸いにラップがかかっていますが・・。 ・・と訪問看護の看護師さんからご注進がありました。始めて入った看護師さんですものね。 そうですか・・と対して驚かない私・・。早く慣れてね・・という余裕です。 多分本人には立派な理由があるはずです。説明を聞いてもきちんと言えるときもありますが、忘れていて、あらそんなところに・・誰が入れたのかしら・・。 と言われるのがおちですが・・ たしかにその人が壊れていくのを、私たちはそのような言い方はしません。どちらが良いのかは判りませんが、レベルが落ちていくという言い方をします。むろん当人の目の前では言いません。 もう本人は自分が認知症であるとの自覚はありません。 あるのは何もかも判らなくなっていく不安です。 自分の置き所のないことが不安です。このままでは立ちいかなくなってしまうことが判っているからです。 一番怖いのは愛する人の名前を忘れることではありません。自分が無くなるのではないかが、一番の不安です。 自分自身は長く残っています。それはアイデンティティーがしっかりしている人は、長く自分が残されると思います。 アイデンティティーをしっかり持つことはアルツハイマーに打ち勝つ一つの術かもしれません。そうしているうちには、治療法が確立されることを祈ります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[ほんわか介護、認知症とつきあう] カテゴリの最新記事
|