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テーマ:戦争反対(1185)
カテゴリ:歴史
A氏:2006.06.02の日記の朝鮮戦争のことを考えると、日本の敗戦後、約半世紀、朝鮮戦争あり、ベトナム戦争あり、カンボジャの二百万と言われる虐殺ありで、多くのアジア人が戦争で亡くなっているね。その間、われわれ日本の世代は学生時代、サラリーマン時代と平和だった。そしておかげで経済繁栄をした。平和ボケと言われるわけだね。それは自慢できることなのか、運がよかったことだけなのか、他人の犠牲で得られた平和なのか、正直言って微妙だね。
戦争で相手を殺すのは、通常の兵士だ。チャップリンが、戦争でたくさん殺せばヒーロー、平時では1人殺しても犯罪者という名言を残しているが、他人を殺すことには変わりない。 私: 十数年くらい前だったかね。まだ、中国が今のように経済繁栄をしていないときに、2週間くらいの観光ツアーで中国を回ったことがある。そのツアーは主に石窟とか寺院とかを廻る旅だった。 ツアーの中で、俺より10才くらい年上の人が1人で参加していた。いかにも、真面目て平凡な市井人という感じの人であった。寺院などでは深く祈りを捧げていた。ちょっと、異常なくらいなので気になっていた。 そのうちに雑談でなんとなく出た話で、彼は「若いとき、私は一兵卒で中国の戦いに来た。中国兵を何人か殺した。しかし、そうしないと私が殺されていた。仕方がなかった。しかし、それは言い訳にならないかもしれない。せめてこの国の寺院でご冥福を祈るだけだ。」と話してくれた。 日中戦争や太平戦争時代では、年が少し違うだけで戦争経験が全く違うね。 A氏:俺も、もう、10年早く生まれていたら、同じ運命だったかもね。 作家大岡昇平氏が、レイテ戦の戦闘で茂みに隠れていると、アメリカ兵は気がつかず近づいてくる。撃つかどうか迷っているうちに、そのアメリカ兵は別の方向に行ったので撃たないですんだという。殺さなかったのはちょっとした偶然だね。 私:最近、ある中堅企業の社長さんと雑談をする機会があった。もう、80才を超えているのに元気だった。 戦争のときは20才台だが、中国に派遣されていた。あるとき、軍用トラックに兵隊十数名を載せて、夜の黄河の岸を移動していたら、運転手が運転を間違えてがけ下に落ちた。その人は最後部にいて、うつらうつらしていたそうだが、ぱっと目がさめて落ちていく途中の木の枝にしがみついて、九死に一生を得た。他の兵士は全員死亡。 また、あるとき、塹壕で鉄砲を撃っていたら、両サイドの兵士がやられ、その人だけ助かったという。その社長は言っていたね。「これだけ、偶然に命が助かると、俺には強い運があるのだと信ずるようになった。」しかし、中国兵を殺したことはなかったと言う。それも運かもしれない。 A氏:映画「プライベイト・ライアン」(2006.05.18の日記参照)でトムハンクスの大尉が部下を戦いで何人か戦死させる。 大尉は、「部下を死なせることはつらい。しかし、俺の数人の部下の死のおかげで、数十人の味方の兵士が死なないで済んだと思って自分を納得させている。」というようなセリフがある。 しかし、その彼もこの映画では最後に戦死する。たった、一兵卒ライアンを前線から連れ戻すために---。だから、大尉は息を引き取るときライアンに「有意義な人生を送れ」と言い残す。監督のスピルバークは何を言いたかったのかね。 私:それはおそらく犬死を嫌う心理だろうね。昨年の文芸春秋9月号を読むうちに、次の2つの質問にぶつかった。 問1.太平洋戦争の戦闘員の戦死者は、陸軍165万人、海軍47万人とされているが、このうち広義の飢餓による死者の比率は、次のどれか? a. 10% b. 30% c. 50% d. 70% 問2. 同じくこのうち海軍の海没者(海没とは、移動などの途中で輸送船が撃沈されて兵士が死んだことをいう)は18万人、陸軍は? a. 5万人 b. 18万人 c. 25万人 d. 40万人 どうだね?分かる? A氏:全然分からないね。 私:俺も分からなかった。答えは、問1はd、問2はb。 陸海軍の死者の7割が餓死であり、陸海軍含め36万人の海没者がいた悲惨で冷酷な事実はどうしようもない。そして戦死者は敗戦間際に集中する。 この事実が靖国問題にあるね。あの戦争の戦死とは何か。中韓とは関係なく日本人自身が抱えた問題だね。 これで、ちょっと暗い話になったが、日本人が知らないといけない現代史の戦争の知的街道はひとまず終点としよう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.06.10 07:45:48
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