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カテゴリ:誕生死
今日は元樹の5回目の月命日。月命日にはいつも元樹がいっそう恋しくなって涙がでてしまいます。
「元樹」という名前は「もとめ」という名のうちの祖母から2文字もらい、元気な木のようにたくましく自然体な子に育ってほしいという願いを込めて命名しました。 私の祖母はお世辞にも美人とは言えないし(笑)、特別何かこれをしたという偉業があるわけではないけれど、私が一番尊敬してきた人です。貧しい田舎から10代の頃一人で東京に出稼ぎに来て、戦時中もいろいろ苦労をした祖母。ほんわかした優しさの中に強さを持った、正直で素朴な祖母。何か私がプレゼントをあげると、どんな小さな物でも「おばあちゃんこんなに良くしてもらったら罰が当るねえ。」と喜んでくれたのを思い出します。欲がなく、うそみたいに心がきれいで、子供や孫、友達やご近所さん皆に愛された人です。 元樹をなくしてから、そんな祖母の優しさと強さは大切な人を失った事があるからではないかと思うようになりました。祖母がまだ小さい頃に産まれたばかりで亡くなった妹。冷たくなった妹を抱っこしてみんなに止められてもずっと「いやだ、いやだ」と言って離さなかったのだ、と昔話してくれた事を思い出します。成人してからは戦争で大好きだった弟を亡くし、「いい子だったのにかわいそうに」と思い出す度言っていました。36年前には4人目の孫を誕生の際に亡くしてとても辛い思いをしたようです。叔母が最近当時のことを思い出して「義母さんにたくさん励ましてもらった」と言っていました。大切な人を何人も亡くしたからこそ、本当に大事なものがはっきり見えていたのかもしれません。 そんな祖母が7年ほど前から認知症をわずらっています。今はもう私の事もわからないし、電話でも混乱してしまうので話す事ができません。私は13年間ずっと海外に住んでいるので、なかなか会う事もできない...。それでも、自分の中で祖母の影響は大きく生きているんだなと日々感じます。何かあるたびに「おばあだったらどうするかな」とふと考えている自分。おばあに喜んでもらえるようなことをしたいと思っている自分。そういう意味ではそばに住んでいる誰よりも祖母は私の近くにいるのだと感じます。 そして元樹も祖母のように私の中でこれからずっと強く生きていくのだと思います。辛い時には励ましてくれる元樹の笑顔、何をするにも「元樹の母としてこうしたい」と思っている自分がいます。 亡くなった後も魂は存在するのか、本当のところ私にはわかりません...。私にとって元樹は天国にいる天使ちゃんというはっきりとした存在ではなくて、もっと抽象的な生命体のような存在なんです。「千の風」の詩のように、大自然に返って、夜は星に、昼は太陽に、冬は雪の結晶の中に存在して、私達を見守ってくれているような気がしています。亡くなった後魂はどうなるのか、それは私が向こう側に行く日まではわからないことなのだと思っています。でもはっきりわかっていることは、元樹がこれからもずっと私の中でたくましい根を張って、大きな樹になって生き続けること。今はまだ5ヶ月のかわいい木がこれからどんどん私の中で成長し続けていくのだと思います。 月命日にはそれを思い出して感謝したい、とこの5回目の月命日に思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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