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カテゴリ:富士山、相模の自然、真鶴
神奈川県の七沢温泉「福元館」へ行ってきました
逗留した別棟への階段のわきには、碑文のプレートが設置されていました。 その多喜二が泊まった建屋は、保存のため復元改築されてました。 前に来た時は、こんな綺麗なガラスはなかったのですが。 当時の様子が、そのままに、大事に保管されていました。 神奈川県丹沢、大山のふもとの七沢温泉。 福元館のホームページ
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多喜二が、ここにいたんですか。感慨深いです。
学生のころに多喜二の映画をみました。いろいろな逸話もあり、関心をもっています。1931年は、満州事変があり 日本の歴史が大きく変わる時ですよね。その頃に多喜二は ここに逗留していたのですね。館主さんの勇気はすごいなあ。。。いつか必ず行ってみたいです。 いい温泉場のようですね。行ってみたいなあ (2011年07月24日 17時02分38秒)
あぶ山さん
>多喜二が、ここにいたんですか。感慨深いです。 >学生のころに多喜二の映画をみました。いろいろな逸話もあり、関心をもっています。1931年は、満州事変があり >日本の歴史が大きく変わる時ですよね。その頃に多喜二は >ここに逗留していたのですね。館主さんの勇気はすごいなあ。。。いつか必ず行ってみたいです。 >いい温泉場のようですね。行ってみたいなあ ----- 普通には1945年を境に、秘話は解禁されても良いように思いますが、そうではなかったんですね。 2000年でしたから、それから55年間も、秘話であったわけです。見えない壁があったわけです。 歴史のページと、地域の日常意識との間には、差があるんですね。 新たな光のもとで、大きな宝として、歴史の一こまとして、多喜二の作品とともに、公に語り継がれる温泉場となったようです。 ただし、接客にあたってくれた人は、おそらく近所の臨時の従業員の人だったのでしょう。 館主の思いとは裏腹に、多喜二にまつわることなど、この手のことがらについては、まったくみごとにトンチンカンでした。 それも地域の率直な姿です。 (2011年07月24日 21時14分42秒) |