神奈川県の七沢温泉「福元館」へ行ってきました
7月23日(土)、本日は、休養日にしていました。
ところが、気持ちというのは気まぐれです。
家で一日中、ゴロゴロしているよりはまし、と思い立って、
神奈川県の大山のすそ野、丹沢にある七沢温泉「福元館」に行ってきました。
(7月23日)
ここで、日帰り入浴をして、骨休めをしてきました。
近年、この福元館は、歴史の舞台として話題になっています。
この福元館の5代目館主が、2000年にそれまで秘話だったことを、新たに公表しました。
『蟹工船』の著者である作家小林多喜二との係わりに関してのこと。
当時、小林多喜二はプロレタリア作家同盟を支援した活動により、治安維持法違反で追及され、拘禁されていたそうです。
1931年1月に保釈・出獄したものの、『蟹工船』が「不敬罪」にあたるとされ、さらに警察からの手配追及をうける身となっていたという。
この中で、多喜二は、1931年の3-4月には、この「福元館」にかくれて執筆活動をしていたという。彼の著作『オルグ』は、その時に書かれたものだ、ということが明らかにされました。
逗留した別棟への階段のわきには、碑文のプレートが設置されていました。
この解説のプレートは、前回来た時にはありませんでした。
去年、新たに設置されたばかりのものでした。
その多喜二が泊まった建屋は、保存のため復元改築されてました。
前に来た時は、こんな綺麗なガラスはなかったのですが。
以前の形を、そのままに残すように、修理されていました。
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この建屋は、本館に対して、道一つへだてた離れですが、
ここで、多喜二は『オルグ』を書いていたのだそうです。
当時の様子が、そのままに、大事に保管されていました。
歴代の館主が、大事にしてきたことがうかがえます。
じつは、この地域は、
明治5年-15年ころは、「自由民権運動」の盛んな地域だったそうです。
そうした歴史の流れの中で、歴史風土の中で、
1931年(昭和6年)に3代目館主が多喜二をかくまったのだそうです。
「自由民権」の志が流れていて、治安維持法により追及される多喜二をかくまい、
その執筆生活や活動を守り、大事にしてきたということです。
当時の館主の娘さんは、「福元館」の案内チラシに紹介されてますが、
「番下駄をからからと音をさせて、丹前をふところ手に、とんびだこのような格好をして(本館の)風呂にこられる多喜二さんの姿をちょくちょく見かけました」と語っていたそうです。
神奈川県丹沢、大山のふもとの七沢温泉。
そこは八か所くらいの旅館施設しかないんですが。日帰り入浴もしています。
そこは東京の都外にあって、もっとも手近で、静かな骨やすめの地です。
この歴史の秘話が、私などには一つの縁になっているかもしれませんが。
それがあっても、なかったとしても、よい温泉であることにはかわりません。
大山のふもとの温泉は、ph9.9という強アルカリ性の温泉で、つるつるになります。
いずこも低温なので、加温していると思いますが、泉質は上々です。
丹沢・大山の周辺に点在する、かくれた湯治場です。
小林多喜二のかくまわれた場所だったとの、新たな史実が明らかになって、
七沢温泉は、新たな関心が当てられるようになって来ていますが、
忌わしみ隠すことではなく、先人が大切に守ったものが現代に光輝きだしている。
「七沢温泉と小林多喜二」は、新たな静かな関心をよんでいます。
福元館のホームページ
http://gold.zero.jp/thattori.13.e7/index.htm