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みかんの木を育てる-四季の変化

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2012年07月16日
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プラトンの『パルメニデス』を読んでみませんか

プラトンは、古代ギリシャの哲学者。紀元前427-347年。
この作品は中期のものだそうです。
図書館であたったら、「プラトン全集4」(岩波書店1975年)に載っていました。

ヘーゲル『精神現象学』の「序論」で紹介されていたわけですが。

登場人物ですが、パルメニデスはエレア学派の開祖で、不明だけど紀元前6-5世紀の人。ソクラテスは紀元前470-399。ゼノンは紀元前490頃-430頃の人とのことです。

この作品は、全体が27節からなっています。これを3つの部分に分けてみました。
第1節から3節は、ソクラテスとゼノンとの対話。
第4節から8節は、ソクラテスとパルメニデスの対話。
第9節から27節は、パルメニデスとアリストテレスとの対話。

第一節で、プラトンはこの対話が行われたとされる前提条件を紹介しています。
むかしパンアテネ大祭(オリンピックの時)で、この人々がアテネに集まってきたこと。
パルメニデスは65歳くらいの白髪の増えた高齢で、その弟子のゼノンは40歳ちかくで、ソクラテスはこの時はごく若かった、と。

第二節 ゼノンが最近出した本について、その朗読を聞いた後で、ソクラテスがゼノンに質問するところから対話が始まります。
ソクラテスが質問します、ゼノンがこの著書で言いたい「議論の意味はどういうことですか。それは、〈もし存在が多ならば、果然(思った通り)それは似ていて似ていないということにならなければならないが、それは不可能だ。なぜなら似ていないものが似ていることはないし、似ているものが似ていないということもありえないから〉ということですか?」。
 ゼノンは「イエス」と答える。

「そうなると、存在が多ということは不可能だということになるが、それが意図なのでは?ふつう言われていることに背いて、あえて言いたいのは〈存在は多ではない〉ということか?」。
 ゼノン「私の意図を君はみごとに会得している」。

ソクラテスは、長老のパルメニデスに対して問う。「ゼノンはこの本で、あなたが『万有は一つである』と主張していること、それと同様に『それは多ではない』と主張している。二人はほとんど同じことを別な言い方で言っている観がある」と。

これに対してゼノンは答えます。「その通り、私はパルメニデスの説を助勢するために、存在を多と主張する人たちへの反論しようとするのがこの本の狙いだ」と。

第三節、ソクラテスは、第二節でゼノンの主張を「ごもっとも、お話の通りだ」と確認する。そして、その上でこの三節でそれに対しての自らの主張を対置します。
そして、そこから問題の探究がはじまります。

ソクラテスはゼノンに問う。
1.「そこで一つ答えていただきたい。
ア.あなたは似るということが何らかの種目(形相)としてそれ自体で独立に存在することをみとめませんか?
イ.またこれに反対なものを似ていないものをみとめませんか?
ウ.そして二つの存在を、私やあなたが組をなして一緒に所有することになることをみとめませんか?」

2.「そして、万有が相反する二つのものを分取するものとして、相互に似たり似なかったりするのは、驚くものではない。
これをもし似るはずのものが似ないことになり、あるいは似ないものが似ることになると、奇怪なことだろうと思う。しかしそれら二つを分有するものが、両方を許容するものになっていると明らかにしたところで、私には何もおかしいとは思わない。
また、万有が一の分有により一であり、逆に多の分有により多であることを誰かが明らかにしたとしておかしいとは思わない。

3.しかし、まさに一であるそのものが多であるとか、逆に多であるものが一であるとかを明示するひとがあるなら、私は驚くでしょう。
これはそのほかのあらゆることについても同様です。それらの種と類がそれ自体として自己自身のうちに、そういう反対の規定を受け入れることを明らかにする人があるなら、それは当然驚きに値することです。

4.私というものが、一でもあれば、多でもあることをしめす人があっても驚かない。私が多というのは、多くの部分からなるからであり、私が一であることは、ここにいる七人に対しては一人であり、一を分有している、と。この種のものは、何かある別なものを、ある点では一と、別な点では多であることを明らかにしているだけのこと。
そこに言われている限りでは誰でも同意するだろう。

5.しかし、それとは別な問題がある。
たとえば、類似と不類似、多と一、静と動など、この種のすべての形相を、まず第一に、それ自体が独立にあるものと区別しておいて、次に、それら自体の間で混じり合ったり、切り離されたりすることが出来るものであることを明らかにしてくれたら、私の関心と感嘆は非常なものがあるでしょう。

6.(ソクラテスは、ゼノンの著作について、冒頭で紹介された意図の論理について、自らの関心点から総評して、ゼノンとの対話は終わります)
「ア、この問題に関連するあなたのお仕事もたいへん大胆な試みだと考えます。
イ、しかし、形相そのものの間にも同じこの問題がいたるところに編みこまれているのを指摘できる人がもしあるなら、あえて申しますが、私の関心はもっと大きくなるでしょう。
ウ、それはあなたが目に見える事物において詳論されたものを、論理によってとらえられるものごとにおいても、そうあることを指摘する仕事なのです」

 

(今回は、最初の第3節までです。
若いソクラテスは、このゼノンとの問答において、すでに弁証法の考え方についての問題意識をもっていたことが明らかにされています。

この後、この著作の主人公・パルメニデスが登場して、ソクラテスとの対話となります。それが第4節から第8節です。

プラトンの著作は、なかなか読み取りにくいのですが、ヘーゲルがそれを取り上げたことを一つのきっかけに、挑戦してみることにしました。

当初は、簡単なもので、チョイチョイで片付くものと思ったのですが、実際にあたってみると、とんでもない。
はたして、終わりまでたどりつけるかどうか、わかりませんが)





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Last updated  2012年07月17日 18時07分39秒
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