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カテゴリ:本棚で見つけたこの一冊
宮本百合子著「昭和の14年間」を読む 宮本百合子の評論「昭和の14年間」を読みました。 これは、1940年8月刊行の「日本文学入門」(日本評論社)に発表されたとのこと。
『歌声よおこれ』(新日本文庫 1977年刊)の中にあったので読んだんですが、 文庫にして50ページの分量ですから、かなりのまとまった評論です。 1926年(大正15、昭和元年)の1月には、京都学連事件・最初の治安維持法が適用されました。 戦争へ戦争へと、国内の大勢が誘導させられていったわけです。 百合子の執筆も大きく制約されていたなかで、この時期にいたる文芸批評をまとめているわけです。 戦前戦後の文学に空白感を感じていたんです。 しかし、これを読んでいくと、ある程度ですが、その原因の一つが分かってきます。 文学者をはじめ学者研究者が、この時代、自主的な見解を表明できなかったんですね。大勢に合わせて戦争への流れに多くの人たちが合唱させられていたんです。百合子は、その様子を昭和の文学の歴史に分析的スケッチを残してくれていたんです。 当然といえば当然かもしれませんが、戦後の民主的転換は、大勢に順応させられた文学は、否定され消えていったんですね。私などの「空白感」には、一抹の歴史的根拠があったわけです。 しかし、戦後も70年がたつと、抑えられていた空気がふくらんでくる場合もあります。 「憲法を改正して自衛隊を明記せよ」「お前は、国賊だ」との今日の出来事を見ると、抑えられていた過去の亡霊が「おれを認めよ」と主張しだしているわけです。 誰しも、ものをいう権利はあれますが、社会の主導権は国民主権にあることを、それをよしとしない人たちはしかるべき少数派でしかないことを、私たちは実証していく責任があります。先人が苦労してつくりあげてきた思想的宝を、より鮮明に掲げるべきときでもあるわけです。 宮本百合子のこの評論は、そのような感想を抱かしてくれます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018年05月16日 08時23分18秒
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