野沢菜と野沢温泉の源泉(飯山の旅3)
同窓会の長野県飯山への旅ですが、棚田、飯山城についで3回目です。
9月5日(水)は、野沢温泉の源泉の一つ、麻釜(おがま)を見てきました。
野沢温泉は、飯山駅から車で15分か20分くらいで、すぐ近くなんです。
温泉の源泉がわき出しているのを見れる、というので楽しみにしていたんですが。
そこでは、信州の各地で親しまれている漬物の野沢菜ですが、
今回、その発祥が、この野沢温泉にあることを知りました。
これがその野沢温泉・麻釜の全景です。
これが幾つかある源泉の一つなんだそうです。
そこにあった案内板をみて知ったんですが、
この源泉・麻釜は、5つの源泉(1.大釜、2.ゆで釜、3.丸釜、4.竹のし釜、5.下釜)があること。
弱アルカリ性の硫黄温泉で、温度は90度から72度、
毎分500リットルの温泉がわき出しているとのことです。
それぞれの5つの釜の源泉温度が違っていて、
それぞれの釜の温度によって、それに適した用途をもっているんだそうです。
「野沢温泉村の人たちの台所」でもあるそうです。
これは大釜です。
しばらくすると、鎖のはられた立ち入り禁止区域の中で、婦人がなにやら仕事をはじめだしました。
「何を茹でているんですか?」聞いてみたんですが。
『野沢菜を茹でてます』との返事がありました。
なるほど、この大釜は85度で、「野沢菜や山菜を茹でる」とかかれていました。
観光用の見世物、アトラクションなどではなくて、住民は日常生活で釜を使っているんですね。
野沢菜というのは、この信州ではどこでも出されます。
昨夜の宿の夕食にも、お茶うけの漬物として、美味しい野沢菜が出されていました。
その野沢菜ですが、初めて知ったんですが、この野沢温泉が発祥の地だそうです。
この野沢菜ですが、その袋の裏側に解説が書いてありました。
当地・麻釜のすぐ近くに健命寺があるそうですが、
「その八代住職が宝暦6年(1756年)に京都に修業に行ったそうです。その時に天王寺カブ(小カブ)の種を持ち帰って、この地でもつくろうとしたんだそうです。
ところが、実の方はちっとも出来ずに、茎と葉ばかりが育ってしまった。やむなくそれを工夫してみたところ、野沢菜が出来たということなんです」。
小カブづくりには失敗したけれど、野沢菜という新たな食材が誕生したというわけです。
災いを転じて福となしたわけですが、失敗作を捨てずに活用方法を考えたというのがすごいじゃないですか。
野沢菜発祥の健命寺ですが、この麻釜のすぐ近くにあるそうです。
予定では、ここへ来る途中に、そこ寄るはずだったんですが、
その前の住職代理の説教が長びいてしまたんで、まぁこれはこれで貴重なことだったんですが、
予定していた時間が無くなってしまい、今回はカットして、源泉見学のみとなりました。
さて、それと野沢温泉では、もう一つ貴重な体験がありました。
ここには「おぼろ月夜の館」記念館があって、それを見学しました。
知りませんでしたが、唱歌の「うさぎ追いしかの山・・・」の『ふるさと』や『おぼろ月夜』ですが、
これを作詞したのは高野辰之という人だそうです。
その人の記念館が野沢温泉の中央にありました。
それを見学を終えて、記念館を出て、後から来る人たちを待っていた時でしたが。
外の方が、サイレンなども鳴って、何やら騒がしかったんです。
『騒がしくて済みません』と、記念館の方が、そのわけを説明してくれました。
ある家の車庫にしまってあった除雪機から出火し、火災となり、自主消防団にも緊急招集が出された。
すぐ向かい側がその集合場所になっているから、まもなくにぎやかになりますよ、と。
しかし、幸いなことに直ぐに消し止めたとの防災無線の放送がありました。
「車庫の除雪機から出火したけれど、機械は燃えたけれど火は消し止められました」と。
ほどなく、自主消防団員が、それぞれの仕事場からかけつけてきたり、火事の現場から帰ってきた人たちも合流して、状況を交歓していました。
これは現場から帰ってきた人たちで、「ヤレヤレ」といったところです。
次は、使った用具のあと片付けをしているところです。
これが、火災などの事故から街を守ろうとする野沢温泉村の自主防災組織なんですね。
ここは、村の中央あたりに位置していますから、いざという時の集合場所にもなるんですね。
今回は防災訓練などではなくて、実際に本物の火災出動をしてきた事件なんです。
大事なくてさいわいと、それぞれ各自の元の仕事に帰っていきました。
なにしろ今年の暑さは異常ですから、
今回のように、車庫にしまってあった除雪機ですが、
どうしたわけか、それから出火するなんてことも、実際におきているんですね。
野沢温泉の源泉を使っての野沢菜づくり、いざという時の自主防災組織の活動、
偶然でしたが、野沢温泉村の、今の暮らしの一端を見させてもらいました。