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哲学の学習3
今回が3回目ですが、これまでの要点ですが。 第1回(6月16日)では、今の日本社会と自分個人の状況からして哲学学習が必要になっているんじゃないか。また、マルクスの1843年当時と今の日本とが似ている面があるんじゃないか。 第2回(7月6日)では、都知事選挙の結果も哲学を求めていると思う。 マルクス(1818-1883年)がこの『ヘーゲル法哲学批判』を書いたのは1843年夏で25歳の時。ヘーゲル(1770-1831年)が『法の哲学』を刊行したのが1821年、51歳の時でした。1840年にプロイセンのウィルヘルム4世が即位して反動政治が強まり、新聞も発行できなくなる。この反動化した社会にどう対処するのか。 そうした中でのマルクスのヘーゲル『法の哲学』の批判的検討でした。 ここでマルクスはヘーゲルのもつ積極性を評価するとともに、現実性の乏しい彼岸にとどまる弱点のわけをしらべて、哲学の根本問題まで検討しています。フォイエルバッハの『キリスト教の本質』(1841年)の唯物論の成果を踏まえています。 エンゲルスは晩年に『フォイエルバッハ論』を出しますが、『ヘーゲル法哲学批判』はこれに対応した若き頃の探究であり、その原材料の位置をもっているとおもいます。 一、ここでのマルクスのテーマですが、 ヘーゲルの文章はじつに難解で理解に苦しめられますが、たしかにマルクスはヘーゲルの社会観を唯物論の立場から批判しています。ヘーゲルの思弁的(観念論的)弁証法をとらえて批判しています。それは新たな唯物弁証法をつくろうとする生みの苦しみであり、それは唯物論的な社会論(歴史観)をつくろうとしている過程なわけで、それは新しい世界観の基本をつくり出すことにつながっていく努力だったんですね。 このことを念頭に置いて読んでみると、厄介な文章の中で何が問題になっているのか、だいたいですが問題が見えてくるようにおもいます。
二、この点で、マルクス自身による明確な指摘があります。 「私を悩ました問題の解決のための最初の仕事は、ヘーゲルの法哲学の批判的検討であって、その仕事の序説は1844年の『独仏年誌』に掲載された。私の研究の到達した結果は、法的諸関係ならびに国家諸形態は、それ自体からも、またいわゆる人間精神の一般的発展からも理解できるものではなく、むしろ物質的な諸生活関係に根ざしているねのであって、これらの諸生活関係の総体をヘーゲルは「市民社会」の名のもとに総括しているが、この市民社会の解剖学は経済学のうちにもとめなければならない、と」(『経済学批判』序言 1859年1月) マルクスの疾風怒濤、短期間に科学的社会主義の思想をつくり出していく過程です) 三、この『ヘーゲル法哲学批判』でマルクスが批判している箇所ですが、 ヘーゲル『法の哲学』の第三部・第三章「国家」の部分です。 「A国内公法 Ⅰそれだけとしての内部体制(憲法)(272節-320節) a君主権(275節-286節) b統治権(287節-297節) c立法権(298節-320節)」
このうち、マルクスの「ヘーゲル法哲学批判」として手稿が残されているのは、第261節から第313節までの分です。国民文庫にして230ページもあるんです。
四、そこで実際にどのような批判的検討がなされたのか。 これから、〔はじめに〕、a君主権、b統治権、c立法権の、4回にわたって調べてみたいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020年07月15日 00時38分32秒
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