哲学学習23 ヘーゲル『哲学史序論』のノート4
以前にノート2で、レーニンの『哲学ノート』を紹介しました。
レーニンは『哲学史』全体を61ページにわたるノートをとって学習していました。
これは個人的な学習記録、手稿です。
公刊されるなどとは思ってもいなかったでしょうから、率直なものです。
このヘーゲルの大著を読んでいく上で、私などはこれを参考にしています。
というのは、『哲学史』については、総論的な解説書はいくつもありますが、ヘーゲルの『哲学史』の原典そのものに具体的にあたって検討しているものというのは、これ以外には見あたらないからです。
レーニンは亡命していた政治家ですし、1915年に執筆とのことですから、世界大戦がはじまり、その最中のことです。同じように「政治家」とされていても、どこかの学術をけとばすような政治家とは、月とスッポンの大違いですね。
その渦中のなかで、この大著を丹念に学習していたなんて、すごい努力家だと思いませんか。本来、政治家とは、学術を国民生活に生かすのが務めのはずとおもうんですが。
それでも、ここにも注意が必要なんです。
レーニンは『哲学史』の全体に当たって、61ページの記録を残しています。
その内、「序論」については、2ページ、6か所の部分に注目の印をつけています。
私などは、その6か所については、その注目に納得するんですが。レーニンの関心が弁証法を学びとろうとする点にあったことも推察できるんですが。私などのような客観主義的な学びの習性からみると、この6か所だけでもって、はたして「序論」そのものの評価としてよいのか、との問題がでてきます。
もちろんこれは、レーニンにとっては公刊するつもりもない、個人的な学習記録ですから、問題意識においてもその時の中心的な関心事という、いたって限定的な記録だったとは思うんですよ。だから、その時のレーニンの感想であって、公刊できる客観的なものではないものであることは分かるんですが。
だけど、歴史というのは、レーニンを尊敬するあまり、この言葉を絶対視して一人歩きしだすこともありうるじゃないですか。その点で、ここでの『哲学史』にたいするレーニンの評価については、注意が必要だと思うんです。レーニンにとっても、そうした扱いのされ方は不本意なものと思うんですよ。
「序論」の締めくくりのコメントですが。
「総じて哲学と宗教との関係について述べてあるところは、ひどく長ったらしく、空虚である。ほとんど200ページにわたる序文-がまんがならない!!」(P215)
後段についてですが、さしものレーニンも、序文が長すぎて「がまんがならない」と文句をいってます。レーニンも読み込むのに苦労を強いられたようです。私などは、我慢すべきものがそこにはあるし、仮に「我慢がならない」ような時は、自然に関心が薄らいで途中放棄して投げ出してしまうんですが。問題意識を持っているレーニン、政治活動をしているレーニンには、忙しい中で「がまんがならない」と対峙する姿勢となったんでしょうね。私などはレーニンのこの評価には、気持ちは分からなくもないけど、同感しません。理解するのに手間取ることは、凡人として当然かとおもうし、いろいろ注目される事柄があると思います。苦労はあっても、せっかちとか途中放棄にならないようにとの注意が必要だと思っています。
ただし、その「がまんがならない」とするレーニンですが、『哲学ノート』には、大著『哲学史』の終わりまで読んで、その学習記録を残しているんです。これはすごいですよ、並大抵な努力ではやりえないことで、そうした学習を実際にしていたということです。この先人の貴重な努力を、今を生きる我々が生かさない手はありません。そうでないと、なまけものといわれても仕方ないですね。
それだけでなく学術にたいする態度が問われます。どこかの総理大臣のように、学術そのものをけとばして、居直ってしゃあしゃあとしていられるようなレベルと事態があるわけですから。もしも主権者がこうした事態にぬくぬくとしていたとしたら、歴史のなかでの存在が問われます。多少とでも同類とみなされるのは、まったくの心外であり、御免です。誤りを根本的に正す必要があることを、あえて一言、言っておきます。
次回は、A「哲学史の概念」です。