「ジェンダー」も、枕詞的な使用に注意
現代の日本社会でも「ジェンダー平等」ということが広がりだしています。
これは良いことなんですが、感じている点があります。
私などは、先に「国連憲章」が枕詞的に使われると、上滑りしてしまう危険を紹介しましたが、
この「ジェンダー平等」ということについても、それを感じています。
私などの意識の不毛は、必ずしも私だけじゃないと思います。
未知な言葉を、この新たな認識を、少しでも早く、正確に社会が受け入れるようになること、
そうした認識を促進していくために、私などの経験を紹介します。
一、私などがこの「ジェンダー」という言葉を知ったのは、71年間生きて来て、つい最近のことです。
この言葉をはじめて知ったのは、日本共産党のイニシアチブによるものでした。
この言葉は、2017年1月の日本共産党の第27党大会時点では、私などは全く知りませんでした。
ことがらは、共産党が言ったとかどうかが問題ではなく、
私などの認識が「ジェンダー」という言葉をしらなかったということです。
2020年1月の第28回党大会は、綱領の一部改定として、この問題をクローズアップしました。
その前には、2019年6月5日には「個人の尊厳とジェンダー平等のために」との政策提起も、共産党はしましたが。それを党の綱領的な位置づけをして、公約したということです。
そのことは、新たな提起の努力として、大体の流れは知っていたんですが。
社会的にも新たな問題に光が当てられるし、選挙のたびに訴えられてましたから。
二、だけど問題は私などの石頭なんです。
市井の人たち、これまで「ジェンダー」なんて言葉をまったく知らなかった人たちがが、大勢いるわけで、こうした人たちに(私の石頭に)、どうやって事柄の理解を促進するか、ということです。
もちろん、繰り返しくり返し、理解してもらうべく主張していくわけですが。
その時に、主観的にはこちらにとっては常識的なことでも、
相手にとっては、「ジェンダー」の言葉を知っている人は、ツーカーでしょうが、
少し前の私などの様に、この言葉を知らないものにとっては、ハイカラな外国のカタカナ言葉に戸惑う人たちもいるわけで、広い世間には、まだそうした人たちの方が多いわけで。
そうした人たちでも、「またハイカラな言葉を言っている」として意識を閉ざさせてしまうのか、
それとも、「おぉ~、それは私のことだ」と関心をおこしてもらえるか、
その違いには、せっかくよい話しているのに、その話している人の話し方や姿勢にも、やはり違いがあるんじゃないかと思います。無意識なうちに枕詞的な話し方があるんじゃないかと思います。
私などの認識からすると、
新しい言葉(ジェンダー)が使われる時には、新しい事柄が問われているはずです。その新しい事柄とはなんなのか、この新たな事柄に対しての生きた取材が必要だと思います。
「ジェンダーってなに?」と、初めてこの言葉を意識した人が抱く疑問は、当然のこととおもいます。
多岐な問題が、今広がっていく過程にあるわけで、「私は知っている」との固定的観点はそぐわないわけです。新しい問題が広がりつつあること、それに対応する努力が必要です。
三、それともう一つあるんです。
新しいことというのは、これまでの努力を発展させることでもあると。
これまで多くの人たちが、様々な人たちが、一生懸命努力してきたことの中に「原石」があること。
「なぁ~んだ、その新しいことというのは、これまで私などが努力してきたことと共通じゃないか」といった認識の歴史性があるんじゃないかと思うんです。
私がそれを感じたのは、有斐閣新書『日本国憲法の考え方』(伊藤正己編 1978年刊)を読んだことにあります。
この中(下)に、第一章「日本における人権思想の歴史」(家永三郎)や
第二章「人権の保障-明治憲法から日本国憲法へ-」(伊藤正己)などが入っているんですね。
そうか、共産党が今イニシアチブを発揮しているけれど、大きく見れば、多くの憲法学者の人たちが、長年努力してきた事柄じゃないか、その新たな発展形態じゃないか、との認識が出てくるわけです。
広範な憲法学者の人たちが、一生懸命努力してきたことじゃないか、との認識です。
しかし、そのことは憲法論だけじゃないんです。
「ジェンダー」の問題は、これまで日本社会の様々な分野で問題とされてきた事柄なんですね。
四、知人から一冊の本が提供されました。
戦後日本思想大系2『人権の思想』(武田清子編 筑摩書房 1970年刊行)です。
これは敗戦後、それまで戦前戦中に社会の諸分野で問題があっても口に出来なかったことと、
それが、戦後の民主的自由の権利を得て、今ではある意味当り前になっているきらいもありますが、
しかし1970年の時点では、戦前にくぐってきた社会からして、その暗から明るいへの転換を経た人たちが、戦後の民主的権利を持ったことから、社会のこれまでのあり方を総点検しようとしているんですね。
これなどは、安倍元首相なんかは、まったく理解しようとしない事柄ですが。
しかし、日本の心ある人たち、社会の様々な分野の人たち、学者文化人の人たちによる、痛切な自己反省・自己点検なんですね。
五、結論です。
「ジェンダー」ということですが、
これは日本の人権の歴史的な発展過程の中にあることがらです。
今、世界で新しい流れとして広がりつつある事柄です。新しい分野というのは、当然、いろいろな試行錯誤もあります。それを含みつつ発展しているということです。
同時にそれは、日本の人権の歴史的な発展の、一つの過程であり局面です。それはこれまで多くの先人たちが苦労・努力してきた事柄の継承・発展でもあります。
私などとしては、そうした認識で受けとめるようになりました。
日本の現実を知り、前にすすめるうえで、また逆流を許さずに、多くの人たちの努力と力を合わせて、まえにすすていく大切な課題だということが、そうしたことがこの不毛な石頭にも分かりました。
石の地蔵さんも、今は声をあげる時なんですね。
それと、努力が努力として報われるためには、その障害がどこにあるのか、事態を客観的に見てみることも必要じゃないかということです。