衆議院の政治倫理審査会について
2月29日(木)と3月1日(金)に衆議院の政治倫理審査会が開かれました。
私などは近親者の葬儀があったんですが、一般にはたらく国民にとって忙しい中では、大事なことだとはわかっていても、具体的にその中身を同時的に追跡するということは、容易なことじゃないと思うんですよ。
しかし、さいわいにして、インターネットで録画を見ることが出来ます。
衆議院インターネット審議中継 (shugiintv.go.jp)
また、新聞の活字により、質疑の様子を見ることが出来ます。
しかし、その録画とても、何時間もの審議を閲覧して、政治家の話のポイントをつかむということは、疲れた体からして容易ではありませんし、
また、新聞の限られた紙面、抜粋された質疑から、実際の審議の中身の全体を知るというのは、限りがあります。
この両方を執念をもって追跡することによって、ようやく事態が見えてくるということです。
その努力が、今、国民の一人ひとりに求められているわけです。
今は確定申告の時期じゃないですか。
国民一人ひとりの家計の収入と支出をまとめて申告するのは、国民の義務であり責任として問われてます。政党も政治資金規正法で収入と支出をオープンにするのがルールになってます。
ところが今回、自民党での問題は、
自民党の各派閥が、政治資金パーティーをひらいて、1枚2万円の券を各議員がノルマをもって企業・団体に売りさばき、その主催者は売り上げ金を各議員にキックバックしていた。それが帳簿にない裏金として運用されていたこと、2千数百万円も自分の金庫に入れてた人がいる。
いや、特定の人ではなくて、自民党の派閥の議員全体が、そうした状態であったということ。
こうした実際が明らかになってきているわけです。
「明らかになって」というのは言い過ぎで、部分が明らかになり、この審査会において真相を究明すべく質疑され、公の場においてはじめて口を開いたわけです。
最初の岸田首相の弁明ですが、
岸田首相は、国民の疑問を招いたことにおわびする。「なぜ政治資金の収支を明確にする当然のルールすら守ることが出来なかったのか」、これがこの冒頭の言葉です。
しかし、その弁明のなかみですが、この自ら設定したこの問いに対して、真摯に答えるものとなっていたか。これが問題です。
一、共産党の穀田議員が、そもそも「今回の裏金づくりは政治資金規正法に違反するとの認識はあるのか?」と問うたのに対して、
岸田首相は、自身の意見・判断はまったく述べずに、「検察において判断がくだされた」から、だから、やはり悪いのだろうとといった、他者が判断したんだからそれに従うといった他律的な答弁でした。
二、いつからこうした仕組みが出来たのか、問われました。
日本維新の会の藤田議員の「事務方がこれだけ大がかりなスキームをつくったとは考えにくい。おそらく誰かが指示をしたのでは」との質問にたいして。
岸田首相の答えは「ご指摘の点は確認できていません」とのべただけ。
しかし、自民党の聞き取り調査や、議員の記者会見での発言からして、安倍派においては「私が議員になった、十数年前から行われていた」といった発言があり、この2日間の審査会の質疑の中でも「私の前からそうした習慣になっていた」「私のノルマは○○百万円だった」等々の発言が出てきているわけでして、「確認が出来てない」などの言葉だけではすまない、何を実際に調査してきたのかその責任が問われているわけです。
三、岸田首相自身の派閥でも、2018年から2020年の間に3059万円のパーティー券の収入が不記載になっていたこと、自身の派閥でも問題じゃないか、との問いかけに対しては。
岸田首相は、「収入額の計上の際もれた」「当時の会計担当者の会計知識の誤解や、帳簿作成上のミスによるもの」だ、と答えただけ。
みながこうした「もれた」「ミスでした」との答えるだけで済むとしたならば、問題の全体解明も、法律のルールも、何も問われないということになるんですかね。問題がないとでもいうんですかね。政治家の責任とは、内閣総理大事かの責任とは、そんな程度のものなんですかね。それですむなら、まったくの無法状態というものです。
こんな姿勢ですから、岸田首相の建前論は、まったくの実効性がないということがあきらかで。
そうであれば、どうするかが、問われているということですね。
四、さらに、岸田首相自身が、2022年までの5年間に政治資金パーティーで計6億5000万円の収入を得ていたという。2022年には7回もパーティーをひらいている。今回の問題発覚で、券は売っても開催が出来てないパーティーもあるという。
立憲民主党の野田議員が、こうしたパーティはやめるべきだとの追及したのに対して、
岸田首相は、これは勉強会であって「勉強会をつづけているんだ」などとして、引き続き続けようとしていた。
くりかえし何度もやめるべきと迫られて、ようやくにして「結果的に在任中はやることはない」と答えるしまつでした。このやりとりは、政治家の単純な問題を訂正させるのに、意地を訂正させるには、どれだけの議論が求められるかをしめした問答でした。
以上のやりとりですが、これは、いろいろな新聞から引いたものです。
各紙とも、活字にするとなる責任が問われますから、それなりの発言と事実を元にしているはずです。
ここには、録画中継のやりとりをさっと見ていただけでは、つかみにくい問題が多々あります。
しかし、問題点を意識して録画中継を見ると、確かにこうした問題が明確に見えてきます。
政治家の独特の、ずるい逃げ方というのは、私たちの日常の一般的な会話とは違うこと。
しっかりと注意してやりとりを聞いてないと、責任転嫁で、ごまかされちゃいます。
私などの結論的な感想ですが、
はっきりしているのは、今の国会のやりとりに任せていたら、ことはのらりくらりとして前進しない。
「会計係がやったことで、私は知りませんでした」「私の前からそうなっていたんで、だれが仕掛けをつくったかしりません」「何に使ったかも知りません」
そんなことで、言い逃れして、それですまそうとしている。
この政治家の言葉巧みな、のらりくらりとして、自己責任を回避する、ウナギをつかむようなやり取りですが、じつは迫真のやりとりになっているのがみえてきます。
とにかく、ここまででも、政倫審を開かせたこと自体が、関係者の質疑をすることになったこと自体が、それを公開で開かせたこと自体が、国民の全体の声(圧力)があったからこそです。それがあったからこそ実現したことです。追求力を注視力を弱めてはならない。悪事を逃がしてはならない。
そのことは、同時に行われた2024年度予算審議ですが、軍拡予算の強行に基本があります。
その衆議院で採決させる仕方を見ても、国民の声を侮っています。国民の声を聞く気なんてさらさらなしです。議員の多数こそが国民の多数の意思だと、最終的には俺らが国会の多数なんだ、などという、まったくの政治家のおごりがしめされているわけですから。
その基本路線が実際に強引に押しすすめられているわけです。
ようするに、今の瞬間は、主権者としての国民一人ひとりの声、あきらめずにまともな政治をつくろうとする努力、それが問われている。逃がさずに追い詰めてきた力が、今回の政倫審だっだし、この国会の今の姿だと思います。
しかし、今の政治のあり方は、何が問題か、どこが問題か、問われています。
さらに、それを正すにはどのような努力が、今国民に必要か、問われています。
そうした問題の全体像が、いろいろなところから見えてきています。
根本的にどの様にしたらこの閉塞を打開するか、問われています。
ようするに、今は、問題の最中であり、未だ全体の解明の途中にあるということです。
明らかになった尻尾をしっかりつかんで、責任転嫁をゆるさずに、
「奴らを通すな」はスペインでしたが、「奴らを逃がすな」です。
もしも国民的な怒りが、それを逃がさないような力をつくれたとしたら、
その先には、どの様な日本の未来が開けるか、その問題もあります。