カテゴリ:日常
ダーリンの友人、シチリア人の両親がはるばるシチリアからヴィチェンツァに遊びに来ていると聞き、彼らを訪ねに彼らが宿泊しているダーリンの友人宅へ挨拶に出かけた。
89年から毎年通っていたダーリンのシチリア行きも私との結婚により回数が減り、今では2年に1回遊びに行くか行かないかになっている。 それでもダーリンとシチリアに居る友人達は時々電話で連絡を取り合っている。 シチリア人の友人の中で、彼是10年以上もスウェーデンに住む人がいるのだが、その彼ともEメールや電話で連絡を取り合っており、こうして会えなくてもまめに連絡を取りあうイタリア人は友情に厚く、そして環境が変わっても変わらず友情を保ち続ける男の友情っていいなあ、と思うのだった。 さて、今回ヴィチェンツァに遊びに来ているこの友人の両親は故郷シチリアでお菓子屋さんを開いている。 私が初めてこのお菓子屋さんを訪問したのは彼是5年前になる。 その時は日本から遊びに来ていた妹と一緒で、まだ私はドイツに在住していたのでイタリア語、増してやシチリア人が話すアクセントが強いイタリア語は全く理解できなかった。 大歓迎で私達を迎えてくれたこの両親は、私達に椅子を勧めた後で 「何か食べるか?」 と聞いた。 何よりもシチリア名物のアランチーニ(お米のコロッケ)が大好物である私は、その時に 「アランチー二を」 と頼み、1つ目は美味しく頂いた記憶がある。 ところがどっこい、事はこれで終わらなかった。 妹と私が食べ終わるのを待つと、両親は更に 「他に何を食べる?」 とこれも食べるか?それともあれも食べるか?と言い出し、終いには 「とにかくたくさん食べろ。食べることはよいことだ。」 と無理やり食べさせ始めたのである。 こうなってはもう『親切』ではなくただの『強制』であり、それこそ『小さな親切大きなお世話』にしかならない。 シチリアを始め、イタリアでも南に下れば下るほど 「食べなさい!食べろ!」 と強制される事が多いのは経験上で知ってはいたが、もう食べられないと言っているのにも関わらず食べさせる彼らのやり方には本当に度肝を抜かれたものだ。 結局その時に私の妹は食べられずにべそをかき始め、 「おお、かわいそうに!」 と話は終わったのだが、その後の旅行で彼女はすっかり 「食べられない恐怖症」 となってしまった。 彼女は昨年イタリアに留学に来たのだが、あの時のトラウマで 「今でもあんまり量が食べられない」 のだと言う。 その時の出来事を思い出しながら、今回友人の両親に再会をした所、挨拶の後で椅子を勧めた後、案の定彼らは私達にお菓子を勧め始めた。 お昼前だったので私は断り、しばらくは納得をしたような様子だった彼らだったが、彼らが持ってきたシチリアからのお菓子をテーブルに持って来ると又しても 「ほら、お菓子を取って。食べて!どんどん食べて!」 と勧めて来る。 お菓子を1つ取ると続けて 「もっと食べろ、お腹の赤ちゃんがお菓子をほしがっているから」 と母体の私でも聞き取れなかった赤ちゃんの言葉を彼らは私に伝えるではないか。 私は、『これ、これ、これぞシチリア式の勧め方!』と懐かしく思いながらお菓子を頂き、終いには包んでもらってお土産として自宅に持って帰った。 この両親が来てからと言うもの毎日太陽がさんさんと照り、暑い日が続いている。 「きっとシチリアから太陽を持ってきてくれたんだねえ。来年は絶対に赤ちゃんと3人でシチリアに行って友人と会おうね」 とダーリンと話ながら懐かしく甘いシチリアのお菓子を食べた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005/09/27 02:02:32 AM
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