カテゴリ:子どもの不登校
子どもが学校へ行かなくなると、
大抵の親はあたふたしてしまう。 ぼくもそうだった。 何だろうね。 学校へ行かないと、もう将来が真っ暗みたいな気持ちになってしまう。 恐ろしい洗脳だね。 親だけではなくて、 先生も、学校へ行けないということは、人生をドロップアウトしているというふうに、 信じ切っているようだし。 そんな中で、 学校へ行きたくないと言い出すのは本当に勇気がいることで、 どんな思いで、 行きたくないと告白したのか、 長女が泣きながら、話をしてくれたときのことを思い出すと、 今でも胸が痛くなる。 今、ぼくが思うことは、 「待つ」ことの大切さ。 学校へ行かせようと、いくら言葉であれこれ言っても、 それが子どもの心に響くことはない。 逆に、 心を傷つけ、親との間の信頼関係が崩れるもとにもなってしまう。 親が不登校のことで口論したり、学校や先生を責めるのも得策ではない。 自分の選択が原因で争い事が起こっているというのは、 結局は、勇気ある選択を否定されていることにつながるのだから。 「行きたくなければ、行かなくていいよ」 のひと言でいい。 「待つ」というのは消極的に思えるけれども、 決してそうとばかりも言えない。 「待つ」と決断することは、「待つ」という行動をすることであって、 すごく積極的なこととも言える。 青虫が成虫になるとき、 さなぎという段階がある。 さなぎは、ただじっとしているだけだから、 何もしてないかのように思えるが、 さなぎの中では、 華麗なる変態の準備が着実に行われているのだ。 子どもが不登校になって、 待つという選択をした瞬間、 親も子どもも、さなぎになれる。 すてきな変態へのスイッチが入ることだ。 鳴かぬなら鳴くまで待とうほととぎすの徳川家康は、 決して消極的な人ではない。 これこそ、積極的な待ちの姿勢のお手本であり、 だからこそ、江戸幕府というすばらしい蝶となって羽ばたけたのだ。 積極的に待っていると、 必ず、親にとっても子どもにとっても、 もっともいい方向へと進むきっかけが現れる。 それが、 とてもいい学校が見つかるということだったりもするわけで、 そういうときは、その学校でお世話になればいいわけだ。 したたかに、柔軟に。 学校は、人生の一部でしかない。 不登校で悩む親にも本人にも読んでいただきたい。 「わがままなあなたがいちばん」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015年06月13日 10時00分51秒
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