グルメ番組よりも食の大切さを伝えてほしい
テレビをつけると、だいたいタレントや芸人が何かを食べて、「おいしい」とはしゃいでいる画が出てくる。食レポなるものは、ぼくは好きになれない。本来、料理の味を的確にレポートするのが食レポなのだと思うが、だいたいが、いかにおいしいかを上手に伝えることを主眼にしているような気がする。あまり自分の好みでないものも、「嫌いです」とは言えないだろうから、1パーセントのおいしさを見つけ出して、それがすべてのように話さないといけないのだろうな。無理して「おいしい」と言わなくても、「このラーメン、ちょっと味が濃いめですね。ぼくは濃いめが苦手で、もう少し薄味にしてほしいところですが、濃い味の好きな人にはたまらないラーメンですね」とレポートして、そこから出汁の話とか、どうして濃い味にしているのとか、話を掘って行けば、もっと深い話になるのになと思ってしまう。それはともかく、こんなにも食べ物の番組が花盛りなのは、人間は食べることに貪欲なのだからだろう。おいしいものを食べると、「ああ、幸せだ」と思うからね。ヤギや犬を見ていても、生き物というのは食欲が一番なのはよくわかる。しかし、今のぼくたちが考えないといけないのは、食欲はこのまま来年も再来年も10年後も、満たされていくのだろうかということではないか。米がなくなっている。高くなっている。野菜も高い。愚痴ばかりを言っているのではなく、その裏側を見ないといけない時期かもしれない。我が家には去年収穫した米が3俵ほどある。今年の秋も、2俵くらいは大丈夫だろう。何年か食べられる「備蓄米」だ。野菜は上手に作れないが、何とかなるだろう。都会の人はどうだろう?元都会の住人だった者として、他人事とはいえ、気になってしまう。東日本大震災のとき、スーパーの食品の棚が空っぽになったのを覚えている。すぐに回復したからいいけれども、あれが1ヶ月、2ヶ月と続いたら大変なことになってしまう。グルメ番組を見て、「おいしそう」「食べたい」と言っていられなくなるかもしれないのだ。国はどんな対策を考えているのか知らないが、ひょっとしたら、グルメ番組を見せて、日本は飽食の世ですよと勘違いさせて、無策を隠しているのかもしれないと勘繰りたくなる。ぼくがやっていることは、農業とは言えない低レベルのものだが、それでも、農業を見直さないと大変なことになるのではないかと実感している。田んぼや畑へ行くと、70代80代の高齢者ばかり。若い人たちが農業をやってみたいと思えるような環境作りをしないと、確実に食糧難がやってくる。そのときに慌てても、簡単には作物は育ってくれない。トランプさんが、アメリカ人が飢えるから、日本に食料を輸出しないと言ったら、それで食べ物が入ってこなくなる。中国だってほかの国だって同じだと思う。今回の関税騒動で、ありうることだというのはよくわかるはずだ。国民の命を守るのが政治の役割。命を守るためには食を守ること。食を支えるのは農業だと思うが、どうだろうか。