のほほんと生きてきた。のほほんと生きていく
ぼくはスポーツを観るのが好きで、この間はボクシングを楽しんだし、ラグビーのテレビ観戦では悔しさとため息だった。もうすぐオリンピック。ぼくの中ではもうひとつ盛り上がらないが、テレビをつけると、たまたまバスケットボールやバレーボールの特集をやっていて、普段はあまり見ない球技だけれども、劇的なドラマがいっぱいあって、オリンピックでは日本代表を応援したくなった。スポーツというと、ぼくは10年くらいラグビーをやっていた。だけど、生まれつき、運動神経が鈍いため、ずっとへたくそなまま。まじめに走るので試合には出してもらえたが、ボールをもっても、ひたすらパスをすることに専念し、たまに自分で仕掛けても、ただまっすぐに走るしか能がないので、すぐに倒される。タックルに行っても、簡単に外されてしまい、地面に寝転がって、相手の背中を目で追う。下手の横好きで、草ラグビーチームを作って、試合をやったり、合宿もした。30歳を過ぎて試合でひざを骨折。それ以来、もっぱら観戦ばかり。スポーツを観るのが好きなのは、運動ができる人間へのあこがれがあるから。そもそも、何事に対してもストイックになれない。スポーツで一流になるには、生来の運動神経に加えて、寝食を忘れて練習をするストイックさが必要だ。スポーツに限らず、ストイックに何かに打ち込むのは、ぼくにはない能力だ。自分にないものをもっている人は魅力的だ。70年近く、そういう強烈なエネルギーもなければ、ストイックに物事に取り組む、興味、執着もなく生きてきた。それでいいのかと思うこともあるが、ずっといい感じで生きてきたのだから、ぼくの持ち味と言えば持ち味なのだろう。ストイックに何かに打ち込める人は、そうすればいいと思う。でも、ぼくみたいに、意思が弱くて、何でも途中で投げ出してしまう人の方が多いだろう。できない人がやろうとすると、ネガティブなことに巻き込まれることが多い。ぼくは、ストイックでなくても何とかなるよ。満足できる何十年かが送れるよという、お手本になりたいと思う。10年か20年か、何をやっているのか、何がしたいのか、まわりも本人もわからないのに、あれっ、こんなことできたじゃないかというお手本。そう、これでも本を30冊近く出している。簡単にできることではない。別に、文才があるわけでもなく、努力したわけでもなく、何となくできちゃった。人に恵まれ、機を見るに敏な感覚と、ここぞというときに動ける行動力があった。それだけのこと。こんな人生もありだと思う。これからも、ストイックさは求めず、今までみたいに生きていくか。パリオリンピックも、涼しいところで観戦しながら、ああだ、こうだと、好き勝手を言っていたいと思う。