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テーマ:今日の出来事(287487)
カテゴリ:社会
岸田文雄首相の長男である岸田翔太郎首相秘書官が首相公邸でおふざけです。一族で忘年会をして写真撮影会。閣僚ひな壇でねそべる写真まで出ました。どうしてこんな写真が表に出たのかわかりませんが、ちょっとした騒ぎになっています。
もちろん非難轟々の嵐です。しかし、岸田文雄も翔太郎もどこ吹く風です。罷免はおろか表立っての謝罪もなく形だけの「厳重注意」で収めるようです。恥も外聞もありません。それでも内閣の支持率は安定しているのです。 これは多分口には出さないまでも多くの国民の感覚と似たようなものだと考えられます。国民も身内に甘いのです。今まで子育ての目的は子供を自立させることでした。それが時代が変わり、多くの場合、自立させたつもりが孤立化を招いてしまっている現実があるのです。背景に日本の国力が低下していることがあげられます。 孤立化が進むと絶望から自暴自棄になったりうつ病を煩ったりして深刻な状況を招いてしまいます。当然自殺も増えます。世間が冷たいなら、最後は家族で助け合うしかありません。たとえ周りからは甘やかしと捉えられても親としては精一杯子供を守ろうとするでしょう。 岸田家もそうなのです。せっかく総理大臣にまでなったのだから子供にもいい思いをさせてやりたい、と考えたのでしょう。多くの国民と共通する思いなのです。多分あきれられても多くの国民は見て見ぬふりをするでしょう。自分たちも似たようなことをしているからです。総理大臣になるということは大変なことです。苦労も大きかったでしょう。だからある程度のご褒美があって当然という感覚なのです。 これは学歴社会の特徴でもあります。あれだけ勉強を頑張って試験に合格、いいところに就職できたのだから出世したり高い収入を得たりするのも当然だろうと考えるわけです。そのために親は知恵があれば知恵を出しお金があればお金を出し汗をかけるなら汗をかきます。まずは自分の家族ファーストなのです。 つまりこれが自己責任です。かつて橋下徹も女子高生相手に一席ぶっていました。不満があるなら将来、選挙に勝って自分の代わりにあなたたちが市長や知事になればいいとうそぶいたのです。だから今は黙っとれということでしょうか。あの発言は完全な責任放棄です。自分が社会で今どのくらいの重責を担わされているかの感覚が全くないのです。家族ファーストのままなのです。 これは実に根の深い問題です。自己責任という感覚は社会的責任の放棄を意味するからです。無責任なら多くの縁、言い換えれば血と汗の結晶でもたらされた恵みを本当に好き勝手に私物化、浪費できます。まあそれで昔の貴族とかは腐敗、没落していったのですけどね。今の日本は一億総貧乏貴族といったところなのかもしれません。 Destiny 体験版を遊びつくしてみた。 貴婦人の乗馬他 オーケストレーション にほんブログ村 にほんブログ村 ↑ストーリーをつくるのは本当に面白いです。これでオリジナルな漫画かイラストが書けるといいのですが・・・がんばります! もう一つのアリとキリギリス by 倖和(サチナゴム) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年05月26日 11時26分34秒
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