560172 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Profile

木村聡子

木村聡子

Free Space

デビュー10年目の今年は正念場です。一昨年、一念発起でとにかくガムシャラに出来ることを何でもやろう!と決心して手当たり次第にお給料無視で様々な活動を始めました。

同人音楽に参加すること、生徒さんが少なくてもカルチャーセンターで抒情歌講座を受け持つこと、たくさんの場所で歌うこと・・・。

1年も経たないうちに、信じられないような形で結果が大きく花開いてきました。この花を少しでも長く咲かせていたい!そう思ってノンストップで頑張っています。

応援してね!
あとうちのワンコのぴぃちゃんのことを好きになってくれると嬉しいな♪

Calendar

Category

Comments

yano.akio@ Re:ぴぃ散歩(04/17) 遅ればせながら、 誕生日おめでとう。 …
愛子@ Re[1]:東北レポート[8] 5月12日(木) サンビュー宮城/帰京(06/08) 横川健治さん >サンビュー宮城の横川で…
木村聡子@ れす ■雪月花さま ご来場ありがとうございま…
雪月花@ Re:高崎ライブ終了しました!(09/05) 楽しく聴かせていただきました。コンパク…
ムーラン@ Re:ハンズメッセ 2011 【その4】(08/26) お久しぶりです~。 ハンズメッセのこと…

Keyword Search

▼キーワード検索

2011年05月14日
XML
12時過ぎに宮城野の里を出発し、石巻市へ移動。

石巻市では前日に私以外のメンバーがあらかじめ現地協議会に出席して、ボランティアスタッフのキッズ担当者のWさんと待ち合わせて、避難所へ連れて行ってくれるという約束をとりつけていました。
避難所の所長のTさんをご紹介下さるためで、そこでご挨拶して次回以降東北入りしたときの活動に繋げられれば、という目的でした。
で、Wさんとの待ち合わせまで時間があるので、市内を視察するという目的もありました。

仙台市から石巻市への移動中、少しずつ風景が震災、というか津波の爪痕が増えていきました。
玄関前に土嚢ともゴミ袋とも見分けがつきにくいものが積まれている民家の存在が最初でした。
同じような民家の数がだんだん増えていき、土嚢の量自体も増えていきました。

最初に見た心の痛む景色。
民間のホールへの道案内とともに「東日本大震災 御遺体安置所」という真新しい立看板。
わかってはいたけど、自分の顔がゆがむのがわかりました。

そして、小さめの長さ30cmくらいの花束が規則正しくたくさん土に突き立てられている土が剥き出しの土地。
土には長方形の模様のようなものも同じく規則正しく並んでいるのも見えます。

土葬場でした。

あのお花のひとつひとつの下に私と同じ人間が、つい2ヶ月前まで普通に生活していた人々が眠っているのだと思うと、息が詰まって苦しくなりました。
このような土葬場は石巻市内に入ると、公園にもありました。
つらい景色です。

海岸沿いの道に入ると、左側にはニュースでよく見る民家が崩れた瓦礫、右側の海側は大きな倉庫がめちゃくちゃになっている壮絶な風景が目に入ります。
どこから見たらいいかもわからず、目の行き場に困るくらいの景色。

03-01.jpg


まずは石巻港そのものまで車を走らせ、そこで降りました。
降りたとたん何とも言えない匂い。
魚が腐ったような、下水が逆流してきたような、そういう匂いです。
細かいチリのようなものが舞っているいるのか、空気がうすら茶色い気がします。
マスクをしないで外に出ることはできません。

03-02.jpg


ただ、港自体はとてもキレイでした。
海に瓦礫が浮いているということもありません。
ただし、港の足場のコンクリートはひび割れたり陥没したりしています。
海沿いの倉庫は1階部分が完全につぶれて2階が下がって建物が斜めになっているところも。
某大手運輸会社の大型輸送トラックがぐしゃりとつぶれたままになっていました。
数メートルの大きさの石油タンクが真ん中でぱっくりと割れて倒れていました。

03-03.jpg


港を離れ、少しだけ車を走らせて、民家があったと思われる地区に入ります。
そこで降りて見た被災状況も壮絶でした。

03-04.jpg


03-05.jpg


東京でも見慣れたレストランの建物がめっちゃくちゃになっていました。
ここで食事をしてたり働いていたひとたちは・・・。
想像したくないです。

お寺では仏さまがうつぶせに倒れていました。
03-06.jpg


地面に散乱したPCや家電の残骸。
03-07.jpg


ただし、車は通れます。
最初は道路がどこかもわからない状況だったはず。
自衛隊が頑張って道を確保するところから、復旧活動が始まったのでしょう。
道が確保されるまでは救援物資も届かず、凍え空腹に耐え、被災者の方々は過ごしていたに違いありません。
想像を絶するこの悲惨な状況へのショックとともに、それでも2ヶ月でここまで片付いているんだという感動も自分の中に生まれました。
おそらく震災直後は特殊な能力を持った人間でなければ被災地に来ても身動きがとれなかったと思います。
自衛隊の存在意義というものをきちんと考えたことはなかったのですが、人を殺さず助けるためにいるような日本の自衛隊のあり方を少し誇らしく思いました。
この日も自衛隊の方と思われる方々が作業をしているのが見えました。

車で少し内陸の方へ走らせると、急に普通に綺麗な町並みに一見見えるゾーンに入ります。
ただし、よく見ると外壁はキレイだけど1階部分は浸水して、ヘドロを出したばかりで完全な空洞になった状態のおうちがほとんどだったりします。
新しめの家でわりと綺麗なまま残っている家と、古めの木造家屋やプレハブ住宅などで基礎から崩れて全壊状態の家が混在している地区もあります。

そのまま車を走らせ、石巻を見渡せる高台にある「日和山公園」へ。
途中、自衛隊が無料営業するお風呂屋さんがありました。大きなテントで組んでいるようです。
日和山公園は驚くほど美しく手入れされていました。
植え込みはまぁるくプロの手が刈り込まれています。
一瞬ピクニックに来たかのような錯覚に襲われます。

03-08.jpg


公園の中に入り、崖のようになった公園の端へ向かいます。
この木の向こうに街が広がっているはず。

03-09.jpg


そこに立って目に入った光景は・・・。
言葉もありません。

03-10.jpg


見渡す限り、茶色い土地。
ここはほんとうに日本なのか?
自分の住んでいる街がこんなことになったら・・・想像もできない。

実際にこうやって目にしても、そんなこと想像できない。
なに、この景色。現実のものと思えない。

さっき間近でみた瓦礫の山の方が現実味がありました。
目の前の瓦礫が一種の目隠しになって広い視界で景色を見られなかったからでしょう。
なんとなく、あの風景はあそこだけのもののような感覚だったのに、こんなに広大な面積を蝕んでいるだなんて。

とてもとても悲しかったです。
涙が出ないように大きく呼吸をしました。
私は今回の東北旅行の最中絶対に泣かないと決めてきました。
泣くために来たんじゃない、うたを歌って、笑顔になってもらうために来たんだ。
だから、泣かずに次に進みます。

瓦礫の街を見下ろすように、八重桜が濃いピンクでたわわに咲いていました。
とても綺麗で綺麗で。命ってなんだろうと答えの出ない問いが心に浮かびました。

03-11.jpg





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2011年05月16日 23時27分32秒
コメント(0) | コメントを書く
[げんきに歌おう!プロジェクト] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.