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もの忘れの激しい大臣に政治を任せられるのか? 「政治とは本来寒いものだぜ」と継之助は言ったが、彦助は このことばの意味がわからず、明治になってからも考え続 けた。やっと思い至ったのは 「政治をするものは身が寒い」 ということに違いない。 わが身をそういう場所に置いて おかねば国民はとてもついて来ないということらしい。 継之助とは長岡藩の藩政改革に力を尽くした河井継之助のこと である。 作家の司馬遼太郎さんは彼の口を借りて、その作品 「峠」 の中でそう述べている。 また 「十一番目の志士」 の中で高杉晋作にこうも言わせる。 「時の理というものには」 と高杉は居ずまいをただし 大声で言った。 高杉のいう時の理というのは 「政治」 というほどの意味である。 「いいか、それに善悪はない」 政治に善悪はない、という のだ。 あるのは勝敗のみである。 赤根は敵に回った。 だから斬る。 しかもその 「斬る」 は 「おまんが京でやっ てきたあの斬るでは意味がない。 天下に公布し、藩国を 売った罪人として公然と斬らねば意味がない。 それによって 長州藩論は一挙にまとまり、藩人の対幕姿勢が粛然とする。 赤根の首は時の理の祭壇に供えられるのだ。 わかったか」 作家の作った歴史観に学べというのではないが真意はある。 古今東西、適わしい政治が行われている国もあるだろう。 カネの掛らない政治はどうすればできるのかを考えて実行 しなければこんな政治はいつまでも続くだろう。 政治家になってもカネにはならないとしたら二世・三世も消える のではないか。 「民の為にマツリゴトを行う」 という高邁な 理想の持ち主だけが集まればいいのだ。 今のように善悪、正不正よりも勝敗により勝てば多数決で 好き放題の政治が罷り通る不実は、どこかで断ち切らねば なるまいに! 「記憶に無い」 「承知しない」 「覚えが無い」 など平然と ウソをつき、議長も認め、許される国会などは世界の恥だろう。 そしてそれが当然だとして看過している国会そのものが常軌を逸 していることを国会議員は認識しているのだろうか? また、そうした態度を告発もできないマスコミは何の為に存在 しているのだろう。 異常な国だ。 それとも政府与党に反発したら後々しっぺ返しでも来るというの だろうか? そんな独裁国家とは思いたくないが、昨今の検察の 行動には疑いがない訳ではない。 長い間の政権はシナのように一党独裁体制が出来上がってロクな ことはないのだ。 オリが溜まってドロドロで腐臭がする。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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