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武士と涙・・・・・ ”人間五十年~下天の内をくらぶれば~~夢幻のごとくなり~” 見たこと聞いたことのあるご仁もあろう。 そう、謡曲、歌舞伎、浄瑠璃 で名高い 「敦盛」 である。 天下の武将、織田信長が扇子を前に広げ座敷で謡いながら舞うシーンを テレビなどでご覧になったことがあろう。 筆者は何故か織田信長といえばこれを思い出すのだ。 勇猛で鳴らした坂東武者、熊谷直実は源氏の軍勢の中でも世に知られた 荒くれ者だった。 一の谷(須磨)の合戦で、海に逃れる平家を追って 波打ち際にやってくるといかにも大将らしき武将が一騎さっと海に乗り 入れていく。 「敵に後ろをみせるとは・・・」 と一喝すると武将は とって返す。 熊谷が面を改むると、何と化粧まで施した美しい若武者 であった。 熊谷が名を名乗ると若武者は、我が首を打って手柄にせよ と答える。 その天晴れな振る舞いに感じ助けようとするが、すでに味方の軍勢が背後 に迫ってどうすることもできない。 泣く泣く首を打ち落としたのだ。 敦盛は平家の大将、経盛の子、時に十六歳。 この覚悟を決めた若武者の首を掻き切る時、熊谷直実は涙をはらはらと落 とす。 今更どうしてこんな憂き目を見なければならないのかと嘆きの声 をあげ、袖を顔に押し当てさめざめと泣くのであった。 あとに、錦の袋が残されていた。 あらたむると、笛が出てきた。 暁方、 嫋々と聞こえてきた笛の音はこの人のものだったのかと、またまた涙を誘 うのであった。 やがて熊谷は発心し、髪を下ろして懺悔減罪の生活に入 る・・・・・・・ これが 「敦盛最期」 のストーリーだ。 源平の戦はあの高松は壇ノ浦 のものもある。 那須与一が船上からゆれる相方の船上の扇を見事矢で射 落とす話で有名だ。 この一の谷は須磨の近くのヒヨドリ越えで有名なヒヨトリの谷である。 それはともかくとして、こうした武士の情け、武士の魂というものに我々 は感動するのである。 敵味方関係なく武士としての潔さという人間とし ての覚悟というものが現在に至るまで歌舞伎、浄瑠璃、謡曲などの題材と して営々として演じられ受け継がれているのだ。 一国を治むる者の覚悟と心情。 敵味方を越えた過酷なる決断を見て凡人 は何を思うものか。 飛躍するが命を賭して戦った隣国の金大中、金泳三 のような政治家が我が日本に待望されるのは蛇足であろうか。世襲でぬく ぬくとして国をタライ回しにしてきた七光りどもよ、君らには艱難辛苦を 乗り越える気構えでもあるというのか。 一体どうなってるんだべか。 日本という国は。 武士の中にはそうした 素晴らしい先人がいたというのに・・・・・・・(一_一;) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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