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近頃はラブレターなど書くのだろうか。 昔は悶々とした気持ちを手紙に
書いて、中には直接件(くだん)の相手に手渡す人もいただろうが多くは 恥ずかしくて下駄箱に入れておいたり友達に渡してもらうなりして相手に 届けたものだ。 つまりラブレターである。
返事が無かったり遅かったりすると、余計なことをしたんだろうか、無視 されたんだろうかと悩んだりする。昔はそんなうぶな触れ合いであり、恋 そのものも純粋なものではなかったか。
現代ではどうだろう。スマホなどでドライに接触するのだろうか。絵文字 などを使ったりして果たして純粋なのか適当なのかいい加減なのかどの 程度なのか分からん告白になるのではあるまいか。 何か青春の胸のときめきとかドキドキ感などと程遠い感覚なのではないか。 直接手渡すとか誰かを介してラブレターを届けるなどのときめきとは無縁 な行為のように思える。
太宰治は昭和21年の冬、恋人の太田静子にあてて、「拝復、いつも思って います。ナンテ、変だけど、でもいつも思っていました・・・」とつづり お終いに「コヒシイ」と書いて出したと言う。 恋文とは、赤の他人に見せるものではなく一対一でやりとりするものだから ハートにずず~んと応える熱さがあるものだ。それを他人に読まれたら顔が 真っ赤になるほど浮いたものになるだろう。見ちゃ~いられない、バカバカ しくて読んじゃいられない言葉かも知れないのだ。
英雄は筆まめでナポレオンはジョセフィーヌに。秀吉は淀君にイクサ場から せっせとラブレターを書き送ったという。昔から英雄は色を好んだのである。 シナの玄宗皇帝だって、光源氏だって皆んな恋文をしたためたに違いない。
この私、人生に一度だけラブレターを書いたことがある。岩見沢から札幌へ 大学一年で通学していた列車に江別から乗ってくる女学生に恋をした。 人づてに聞いたところ彼女は捧(ささげ)須〇子さんと言って札幌の女学校 へ通っていた女性だった。初々しくて色の白い可愛らしい女性であったのだ。 私は恋をした。毎朝決まって同じ車両に乗ってきて何となく私に気があった 様にも思へたのである。毎朝顔を見てはドキドキしてついに胸の中で膨れ 上がって想いが爆発しそうになりもうこれは愛を告白するしかないと思った。
初めてのラブレターを書いたのである。それを自分で渡せなくて親友に 頼んだ。何日か経ってその友達を介して返事をもらった。ドキドキしてイソ イソと開封すると・・・・・何と何と、断りの返事。振られたのであった。 青春の蹉跌、挫折。恋はなんと儚きものか。残酷さを知ったのである。 あの頃の流行った歌に水原弘の「黒い花びら」という一大ヒット曲があり、 正にあの心境であった。それからは学生時代二つ三つ恋の遍歴をして、 大学を卒業して大阪に来たのである。
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