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神道には教義も教典もないことは周知であろう。 定まった教祖様がいない。 日本の「神」はキリスト教とかイスラム教が持つ神とは全く違っている。 それは日本人が育んできた心性(こころ、精神のあり方)なのである。
神社の鳥居をくぐる時は真ん中を通ってはいけないという。真ん中は神様の 通り道だからである。左右の端っこを畏まって(畏まらなくてもいいが)通り 抜けることが失礼にあたらない。 それはともかく伊勢神宮へ行くと何か雰囲気に神々しさを感じる。緑したたる 神域に足を踏み入れると何故か身の引き締まる思いがして頭が自然と下がる。 皆様はどうでしょうか。そういう経験はありませんか。
セミがジイジイと鳴く真夏に伊勢の内宮・外宮を訪れると鬱蒼とした杜の中に 何やら只者でない奥深さを感じて思わず畏敬の念を抱いてしまう。日本人なん ですなぁ~。神社へのお参りは右傾とか国粋主義とかナショナリストだとか、 そんなものとは無縁なのである。日本という国を形作ったであろう神たちへの 畏敬と感謝そして尊崇なのだ。
政治家がモーニングで意義を正して公人の立場であろうと私人の立場だろうと 一個の人間として先祖を祀ってある神社へお参りするのに遠慮は無用である。 日本という国を造り給うた神々や先祖に尊崇の気持ちを表すのは当然である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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