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仏門に入って旅した西行法師が伊勢神宮を参詣して詠んだ歌; ”何事のおはしますをば知らねどもかたじけなさの涙こぼるる” この私とてかつてジ~ジ~とセミの鳴く夏の時候に伊勢神宮に 詣でた折りあの深い杜の中で西行さんと同じ感傷を覚えた。 何とはなしに荘厳な感じに囚われたのである。
私は深甚な仏教徒でもなんでもなくて先祖の禅宗を受け継ぐ単なる 一市井人である。毎朝仏壇にお線香とローソクを灯しお茶とお水と 湯気の立つごはんを供えてまんまんするだけのもの。
宗教学者の山折哲雄さんは宗教風土には「神を信ずる」風土と「カミ を感ずる」風土があると言っておられる。そこには大日如来もなく天照 大神もなく唯こうべを垂れた西行は「カミを感じた」の方だったので あろうか。
お葬式で死者の霊に手を合わせる時はどう思うのだろうか。「どうぞ成仏 して彼岸にお渡りください。そして極楽浄土へどうぞ」などと漠然と思うの では。そこには宗教とは関係なく何とはなしにカミや仏を感じているので はあるまいか。「何事のおはしますをば」も「いづこにおはしますをば」も 関係なくただ心静かにお祈りするだけ。「仏かカミのようなもの」を感じて。
歴代総理が恒例として靖国神社や伊勢神宮に参った時、周囲の国々が 靖国神社を詣でるとうるさい。伊勢神宮を参ってもどうこう言わない。 両方とも神道の神を祀っているから同じである。ただ靖国神社には国の 為に命を捧げた多くの霊を信託している違いだけである。
泉下の人たちを冒涜しても詮無い話で、それなら自国の悪しき先達をば 如何に遇するものか訊いてみたいものだ。
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