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もの心ついて以来の阪神ファンであった私にとって今回の星野仙一氏の
訃報は大変ショックであった。我々タイガースファンにとって星野さん がすい臓がんだったなんて全く知らなかったから正に青天の霹靂だった。 2001年に野村克也氏の後を継いで阪神タイガースの監督になった時は 大変ファンとして嬉しかった。それまで中日ドラゴンズを率いて2回の リーグ優勝を果たしていたし当時から猛将として名が高かった人だ。 就任するや優勝請負人として広島カープから金本知憲をトレードで受け、 大リーグを辞めた伊良部秀輝を獲得し、コーチには達川光男、ピッチング コーチに西本聖を招聘し、2003年見事阪神18年振りの優勝を果たしたの である。 1985年吉田義男監督を擁して優勝して以来、実に18年ぶりのセ・リーグ 制覇であった。あの年のタイガースファンは狂喜乱舞、道頓堀川には多く のファンの若者が川にダイブしたことである。 阪神ファンにとっては星野仙一氏は大恩人なのである。前任の野村克也氏 も出来なかったセ・リーグ制覇を2年目で実現したのであるから! 優勝した翌年には監督を退き岡田彰布氏にその座を譲り岡田監督は2005 年に星野監督の遺産を受け継ぎ再度優勝したのである。星野氏はそこから 5年間阪神のシニア・ディレクターの肩書きでチームをバックアップした。 その間WBCの監督をやったりして2010年に東北楽天イーグルスの監督に 就任した。ところが2011年の東日本大震災が起こったのである。 彼は何とか東北の人々を少しでも元気づけようとチームを鼓舞して3年後、 2013年に田中マー君を中心にパ・リーグで優勝し、勢いをかって日本シ リーズも制し日本一に輝かせたのである。仙台を中心とする東北の人たち にまた阪神ファンと同じ夢を与えてくれたのであった。 中日で2回、阪神で1回、楽天で1回(日本一)とセ・パ3チームに跨って 優勝させた名伯楽が星野仙一氏だった。ベンチでは熱血、思う通りになら ないとベンチでモノを蹴りあげたりした姿もよく見たが、一方では優しい 側面があり多くの選手に慕われた人であった。 巨人の原辰徳監督が成績不振で解任された最後の試合のグランドで星野氏 は原監督をハグし「また戻って来いよ」と励まし、原監督はその暖かい 言葉に号泣していたのはまだ記憶に新しい。優しい男だったのである。 野球を離れるとテレビなどで見る姿はいつも笑みを絶やさずしゃべりも 明快で常識人だったしプロ野球界を代表する大御所であった。 星野仙一さん、お疲れ様でした。そして夢を与えてくれて有難うござい ました。どうか安らかにおやすみ下さい。心よりご冥福をお祈り致します。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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