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ワシは朝は味噌汁がないといかん。味噌汁には豆腐と揚げとワカメとネギが
必ず入っていなきゃいかん。ずうっと以前そういうオヤジがいました。私の 上司だったオッサン。家ではワンマンだったのでしょう、いつもスーツ着て 白い綿のソックスを穿いているのです。靴下は白の綿ソックスと決めていた 様です。おかしくない?普通ならスーツに合った濃淡とかのソックスを穿く でしょうに、このオッサンはいつも綿の白いソックス。身だしなみもクソも ありゃしない。何でも決めないと気がすまない人間だったのでしょう。ひょ っとして水虫持ちだったかも知れないけどね。 もう一つ、そのオッサンたたみの部屋で宴会をする時も鍋もんでも何でも飲む のはウイスキー。私なら、雰囲気とか食べるものによって飲むものだって ビール、日本酒、焼酎と自由に変えたらいいのにこのオッサンはウイスキー しか飲まなかった。長い間前の会社で香港の駐在員だったのでもっぱらウイス キーばかり飲んでいたのかも知れない、兎に角ヘンコで頑固この上なかった。 私は当時30過ぎの働き盛り。このオッサン他所の会社からヘッドハンテイング されて私の上の事業部長に座ったのです。兎に角自分で決めた事は部下に対し 雁字搦めにして言う事を聞かせる。反対しても絶対説得するというワンマン。 私はこんなオッサンとずうっと仕事をするなんて辛抱たまらんと決心してとう とう30代半ばで会社に辞表を出したのでした。 当時の常務から慰留されました。忘れもしない大阪は「チェックメイト」なる 北新地にある洒落たステーキハウスで。「君なあ、折角十年も貿易の仕事を やって来たのに何が不満なんや?何をやりたいのか?」あっさり説得された。 「そうか、価値の創造の仕事か!、ならばあっちの事業部でやったらどうか」 当時売上75億円規模のメーカーでした。貿易の仕事は仲立ち業のようなもの で海外のバイヤーから引き合いをもらってその見本をつくり、良ければ価格 交渉をして受注する。それを生産して船積み輸出する仕事。いわば太鼓持ち (幇間)みたいなものと思ったのでした。メーカーというのは売りたい物を 自分で企画して作りますから、口幅ったく言うと「価値の創造」という訳。 まあ、そんな事を30代から定年まであ~でもないこ~でもないと考えたりし やってきたわけでがんす。思えば長い間大したこともなく過ごしてきました。 話を元に戻して、私の場合朝食は和食の時もあるしパンの時もあります。何が なけりゃならんと言うこともありません。なまくら四つであります。いわば、 融通無碍(ゆうずうむげ)とでも言いますか・・・何でも受け入れる性格な んです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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