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どなた様も今日も一日、いい日でありますように・・・! 「糸へん」で始まった私の大阪生活は、名の知れた船場の地がスタート でありました。爾来幾星霜、船場という糸へんのメッカでもまれにもま れて育ちました。1970年代は日本の繊維産業は最盛期で、化合繊繊維 の出現とともに、国内、海外ともに花形産業であったのです。 軽工業のカテゴリーにある繊維産業は労働集約的で、形は後進性を持っ ており、発展途上国の産業としてリードする性格のものです。だから国 の発展は繊維・日用雑貨などの軽工業から始まり、電機・機械・土木・ 建設などの重工業へ移行していくのが通常のパターンです。 それは兎も角、今年はファッション業界で世界をリードしていた日本の 有名デザイナーが相次いで鬼籍に入りました。高田賢三さん、三宅一生 さん、そして森英恵さん・・・1970年代のパリではピエールカルダン、 イヴ・サンローラン等々錚々たる大御所に交じって日本の服飾の先駆者 はパリのプレタポルテの舞台で名を馳せたのでした。 それがこの一年間でお一人ずつ泉下へと・・・時移り、星数えて茫々と。 私などはそんな華々しいファッション業界ではなく、同じ糸へんでも地味 な大衆衣料のカテゴリーにいました。そんな日本の「衣」の分野で世界を リードしてくれていたのが彼らデザイナー達でした。糸へんの頂点で活躍 し、ある意味世界をリードしていたのでした。糸へんで育った私にとって 彼らの名が一つずつ消えてゆくのは寂しさ以外の何ものでもありません。 日本は今や先進諸国とコンピューターやAI(人工頭脳)の時代が産業の主 流になり、産業構造も激変しました。でも生活の基本「衣」「食」「住」 の需要は中身・外身は変わっても、その必要性は変わりません。 いいものを着て、美味しいものを食べて、いいところに住むというのは、 人々の欲求の根源にあるものでしょう。私はそう思っております。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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