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ショーン007aの日記

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2016年02月07日
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カテゴリ:読書

原文http://www.globalresearch.ca/global-power-and-global-government-evolution-and-revolution-of-the-central-banking-system/14464

和訳

前書き

人 類は我々の歴史において最も騒然とした期間に突入する寸前にある。 グローバルな不況、かつて見られなかったような話、かつて想像されなかったようなス ケールでの本当にグローバルな戦争、世界中の国々が国民をコントロールするために全体主義的な警察国家にならんとするような社会の崩壊と云った見通しが、 日増しに強まっている。 多数のグローバルトレンド予測家達が、経済不況、戦争、ファシズムへの回帰、および社会の全体的な再編成についての警鐘を鳴らし ている。  危機を通して、我々はグローバルな政治経済の再編成、および資本主義の全体主義資本主義世界政府への変身を見ているところである。 資本主義 はその歴史を通してずっと同じであった訳ではない。いつも変わっていたし、これからも変わり続けるであろう。 その変化は、政治的経済的学説、主流だけで はなく批判的学説にも基づいて、分析・説明されている。    その変化は、何年、何十年、何世紀にも亘って生じている。 資本主義は、次のフェイズでは、ほとんど中国並に、国家が統制する全体主義的資本主義の経済システムに移行する。

           
グローバルな政治経済そのものが世界政府団体に再編されつつあり、それはグローバル権力の単一の中核であり、そこで世界の社会・政治・経済に関わる権力が単一の機関に集中される。 これは陰謀説ではない、現実である。 これは、「インターネットの陰謀説愛好家」の領域に限られた問題でもなく、実際に世界政府の概念は資本主義およびグローバルな政治経済の歴史において始まって発展して来ている。 主流および批判的な学説が、何世紀もの間、世界政府の概念を述べてきている。

           
世界政府という考えは非常に長い歴史を持っていて、世界をそのような構造に導こうとする力が現代のグローバルな政治経済の歴史そのものと絡 んでいる。このレポートの目的は、学説と実践の両面において世界政府形成に向けての足取りを追ってグローバルな政治経済の歴史を検証することである。

           
我々はここにどのようにして到着したのか? そして、どこへ行こうとしているのだろうか?

 

 

何故、学説を勉強するのか? 

           
政治学の純学問的分野、特にグローバルな政治経済学(GPE)の分野において、グローバルな政治経済学分野で採用されている行為と方向性を 理解するとともに、資本主義がどのようであったか、再編と変更をどのように続けているかを理解するためには、政治経済学の様々な理論的見地を理解すること が不可欠である。学説は、俳優が理解できて行動する基盤を与えてくれる。政治経済学者ロバート・コックスがかつて述べたように、「学説はいつも誰かのため で何らかの目的のためにある。」 変化していることを理解するためには、グローバルな政治経済、特に世界政府の理論的基盤において変化を引き起こしている人々の理論的傾向を理解・分析する ことが重要である。それと同様に、どのように何故、世界政府が構築されつつあるかを解釈する方法において、批判的な学説を検証することも重要である。 

 

 

商業主義 

           
政治経済学説の歴史は、国際的あるいはグローバルな共同体概念によって、連続的な魅惑を示す。西洋のグローバル政治経済理論家の最も初期の 形態は、初期の重商主義時代に芽生え、アダム・スミスの国富論に引き続く自由主義理論の出現とともに、フレドリッヒ・リストやアレキサンダー・ハミルトン のような重商主義作家が内在する自由主義概念についての論評を書いた。 リストは、その著作「国家経済と国際経済」において、スミスは国家が経済条件を決 定する」国家経済というアイデアを広めるとともに、「国家経済」を「国際経済あるいは全世界経済」に置き換えることを主唱したと書いている。 リストは、 フランスの自由主義経済学者ジャン-バティスト・セー(J.B.セー)の見地について議論し、セーは「一般的な自由貿易のアイデアを理解するためには全世 界共和国の存在を想像すべきであると公然と主張している」と言っている。[1]

           
リストは次のように明確に述べている。「もし、(政治経済思想についての)一般的な学派が要求するように、全世界統一組織あるいは国家連合 組織を永続的な平和のための保障と仮定するならば、国際的な自由貿易の原則は完璧に正当化されるように思われる」が、この一般的な思想は「全世界統一組織 と永続的な平和の存在を仮定し、そこから自由貿易の大いなる利益を演繹している。こういう風に、それは効果と原因を混同している。」 リストは、以下のよ うに詳細に説明している。 「既に政治的に結合された地方および国家の間では、永続的な平和状態が存在している。商業的な結合は、この政治的な結合に起因 している。」 更にまた、次のように述べている。 「歴史の全ての例が示すように、政治的結合が先導し、商業的結合がそれに続くものである。商業的結合が 先導したという例は一つもなく、政治的結合は商業的結合によって強化されてきた。」[2]

           
リストは重商主義理論家であることを述べておかねばならない。 これは、彼が政治的分野と経済的分野を干渉し合う分野と看做し、それらは絡み合い溶け込むと考えていたということを意味する。しかしながら、政治は経済の 上位に存在している。なぜならば、経済は政治的要素の指図に従属するからである。自由主義理論家は、政治と経済は別物で、分離されるべきで、その結果、政 治的要素は経済の影響を受けないで独立して相互作用し、経済そのものは政治とは独立分離して振舞うということを信じている。これは、「自由市場」概念の基 盤であり、しばしば引用されるアダム・スミスの名言「市場の見えざる手」のことである。なお、その名言は彼の著作「国富論」全体の中で一回使われているだ けである。自由主義理論家の即位は純学問的・理論的研究に分離の爪跡を残し、政治経済学を一分野として分離し、別の研究体系として政治学および経済学の出 現をもたらした。

           
政治経済学者ロバート・コックスが述べたように、「学説は常に誰かのためで、何らかの目的のために存在する。」 この分離の目的は、純学問 的思想を区分し、両者をよりコントロールし易いように、政治と経済の領域を分離することにある。そしてそれは、1600年代後期以降において政治と経済を 支配している銀行業者が政治・経済学説の立場で世界を眺め続けたためである。それは「分割統治法」という戦略であり、それによって学説および学界は両側の 思想を統治支配するために分割された。この分離は今日まで続いている。というのは、政治経済学は政治学の下に従属させられている。政治学および経済学が政 治経済学の傘の下にあるとう言い方がより道理に合うのであるけれども。もう一度言うが、思想を区分することで、議論と論争のコントロールがより容易にな る。

           
リストが彼の評論の中で論じていたことは、全ての国々が世界連邦政府として結合された世界市民社会の自由主義概念の批判である。 当然、これはその時代の真相ではなく、自由主義理論家の役割についての不正確で曖昧な仮定であった。 経済的あるいは商業的な相互依存および結合が政治的 な結合に至ったことはかつてないと説明している。政治的な結合が必ず経済的な結合に先行すると歴史が示していると、リストは主張した。しかしながら、リス トは19世紀前半に書いていたが、歴史は事の成り行きと政治経済学説を変えた。 特に、 名門銀行家一族(取り分け、ロスチャイルド家、ワールブルグ家、 そして後に、モルガン家、ロックフェラー家)からなる主要な銀行業者は、異なった成り行きを画策することを決心したと私は主張したい。彼らは、経済的な結 合を先行させて、その足跡を追うように政治的な結合を構築させるという戦略を追及したのである。 

 

 






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最終更新日  2016年02月07日 21時59分42秒
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