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ショーン007aの日記

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2016年02月09日
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カテゴリ:読書

大恐慌

 

現 代の銀行制度はお金を無から作り出す。その過程は、かつてでっち上げられた中で最も仰天すべきぺてんであろう。銀行業は不公平の中ではらまれ、罪の中に生 まれた・・・銀行家は地球を所有している。彼らからそれを取り戻しても、彼らにお金を創造する権力を残したままにするならば、彼らはペンの一振りでそれを 再び買い戻すのに十分なお金を創造するであろう・・・ 彼らからこの強大な権力を取り除けば、宝庫のような全ての巨万の富が消え去り、住むのにより適した より幸福な世界が実現するであろう・・・しかし、もし、銀行家の奴隷であり続け、奴隷の身分に伴う損失を払い続けたいならば、銀行家にお金を創造させ、信 用を支配させ続ければ良いであろう。[38]

 

- ヨシア・スタンプ卿、イングランド銀行取締役、1927年

 

1920 年代を通して密接に協力関係にあったニューヨーク連銀頭取のベンジャミン・ストロングとイングランド銀行総裁のモンタージュ・ノーマンは、「英国と合衆国 の金融力を利用して世界の全ての主要な国々に金本位制を採用させ、全ての政治的支配から独立した中央銀行を通してそれを運営させ、国際的な金融に関する全 ての問題を政府の干渉無しにそのような中央銀行間の協定によって解決させるようにする」ことを決めた。 これらの男達は、政府や国民を代表していると自称していたが、政府や国民のために働いていたのではなく、「彼らの国の最有力な投資銀行家のための専門家で あり代理人であった。そして、その投資銀行家が彼らを育てたのであり、彼らを完璧に失脚させる力を持っていた。」[39]

           
1920年代に合衆国は株式市場の急騰を経験したが、それは商業銀行が「株式購入資金を供給し、株式を担保とし」、有価証券の引き受け・購 入の大波を創造した結果であった。それに続いての株式市場への投機は、銀行が「連銀から沢山借りた」結果であり、「このように連邦準備制度は株式市場の高 騰を生み出す融資の手助けをした。」[40]

           
1927年、ニューヨーク市において、イングランド銀行のモンタージュ・ノーマン、ワイマール共和国のドイツ中央銀行であるライヒスバンク のヒャルマー・シャハト総裁、フランス銀行のチャールズ・リス副総裁ト、およびニューヨーク連銀のベンジャミン・ストロングが会合を開いた。その会合の話 題は、「イングランド銀行の準備金が絶えず少ないことについてであった。銀行家達は、もし連邦準備制度が融資を喚起するために利率を緩和するならば、その 準備金不足が救われるであろうと考えた。そうすれば、ゴールドの保有者は彼らの金属をロンドンに置いておくことで、より高いリターンを求めるであろう。」 連邦準備制度は好意を示した。[41]

           
イングランド銀行は、金本位制のチャンピオンとしての英国の地位のために、準備金については脆弱であった。フランス銀行を含む外国の中央銀 行は手持ち外貨をゴールドに替えていたが、イングランド銀行は供給できるだけ十分なゴールドを持っていなかった。それで、連銀はその公定歩合を下げて、フ ランスのゴールド購入に匹敵するだけの有価証券を買い始めた。 そして、合衆国のお金は、「現実の富の生産よりもむしろ株式市場への投機に益々注ぎ込まれた。」[42]

           
1929年の初めに、連邦準備制度理事会は、「株式取引所委託保証金に対する融資を絞るよう各連銀に求めた。」 そして、「投機に利用できる信用量」を減少させる目的だと公に宣言しながら、他の行動を採った。そして、それは反対の効果となった。すなわち、「利用可能な信用は益々投機に向かい、生産的なビジネスから遠ざかった。」 1919年9月26日に、ロンドンは金融パニックに襲われ、イングランド銀行は公定歩合を上げたので、英国のお金はウォール街を去ることになった。そして、「膨らみ過ぎた市場はたるみ始め」、10月中旬までにはパニックとなった。[43]

           
在職期間最長のアラン・グリーンスパン連邦準備制度理事会議長は、連銀が経済に過剰な信用を注入することで投機的な急騰を起こし(聞き慣れ ているように思われる?)、最終的には大規模な不均衡が生じたことによってアメリカと英国の経済が崩壊する結果となったと書いている。その後、英国は、 「1931年に金本位制を完全に廃止し、残っていた信頼をばらばらに引き裂き、世界規模の一連の銀行破綻を誘発した。世界経済は1930年代の大恐慌に突 入した。」 [44]

 

国際決済銀行

 

1919 年のパリ平和会議で書かれたベルサイユ条約において規定されたドイツの賠償金支払い清算のためのプログラムを作るために、1929年にヤング委員会が設立 された。その委員会の委員長はオーウェン・D・ヤングであり、ゼネラル・エレクトリックの子会社としてアメリカ・ラジオ会社(RCA)を設立した人物であ る。彼は1922年から1939年までの間、GEの社長にしてCEOでもあって、ドーズ案の共著者で、1928年にロックフェラー財団の評議員に任命さ れ、1929年にはニューヨーク連銀の副頭取でもあった。ドイツの賠償金支払いのためのプログラムを作るために1929年にヤングは欧州に派遣されたが、 J.P.モルガンJr.が同行していた。[45]

           
その委員会で決まったことは、ヤング案を作ることであり、「それは、ドイツをアメリカ資本に占領させて、合衆国が所有する莫大な抵当証券の担保としてドイツの不動産を差し出させようとする案であったと断言できる。」 また、ヤング案によって、「失業率は益々増加し」、ヒットラーをして「失業をなくす」と言わしめ、そしてそれは「選挙においてヒットラーが大成功する理由となった。」[46]

           
そのヤング案は1930年に効力を発し、それに続いて株式市場は崩壊した。その案の一つとして、国際的な決済組織の創造があったが、それは 1930年に設立され、国際決済銀行(BIS)として知られているものである。それは称されているところによると、ワイマール・ドイツの連合勢力への賠償 金支払いを促進し調和させることであった。しかしながら、遥かにもっと隠匿されていて遥かにもっと重大な第二の役割は、「世界中の中央銀行運営の調整機 関」として振舞うことであった。 BISは「中央銀行のための銀行」と評されるが、「株主の存在する私立の機関でありながら、公的機関のための操作を行う。そのような操作は厳密に秘匿され 続けているため、一般の人々がBISのする操作のほとんどについて通常気付くことはない。」[47]

           
BISが設立されたのは、「ロンドン、ニューヨーク、およびパリの三大金融センターによって世界が一つとして動くメカニズムを与えることによって、世界の金融センターとしてのロンドンの衰退を矯正するため」であった。[48] キャロル・キグリーが説明しているように:

 

金 融資本主義の権力者は別の遠大な目的を持っていたが、それは各国の政治制度と世界の経済を全体として支配することができるように、金融支配の世界システム を創造・私有することであった。このシステムは、協調して振舞う世界中の中央銀行によって、しばしば開催される私的な会合や会議で決められた秘密の協定に よって、封建的に支配される得る。そのシステムの頂点に位置するのがスイスのバーゼルにある国際決済銀行であり、それら自身が民間法人であるところの世界 中の中央銀行によって所有・支配される民間銀行である。[49]

 

BIS は、「合衆国の一流の三商業銀行、すなわちJ.P.モルガン&カンパニー、ニューヨーク・ファースト・ナショナル銀行、シカゴ・ファースト・ナショナル銀 行、並びにベルギー、フランス、ドイツ、イタリア、オランダ、日本、および英国の中央銀行」によって創設された。「各中央銀行は16,000株を引き受 け、合衆国の三銀行も同じ数の株式を引き受けた。」 しかし、「中央銀行だけが投票権を持っている。」[50]

           
1933年11月21日付けの手紙において、フランクリン・ルーズベルト大統領は、エドワード・M・ハウスに次のように言っている。「貴殿 と私が知っているように、本当の真実はより大きな中枢における金融の要素がアンドリュー・ジャクソンの時代以降ずっと政府を所有してきた。そして、私は ウッドロー・ウィルソン政権を全く例外としていない。国家はジャクソンのアメリカ合衆国銀行との闘いを繰り返そうとしている。ただし、遥かにより大きくよ り広い根拠においてである。」[51]

ヒットラーへの銀行融資

 

1930 年代を通して、ドーズ案とヤング案に基づいて提供された融資の御蔭で、ドイツは少数の有力な産業カルテルを作ることができたが、全てウォール街の金融家や 実業家によって融資されていた。[52] これらのカルテルは、ナチス政権を金融上支援し、ナチス政権の基盤となった。ドイツのナチス産業とアメリカの産業・金融との間に協力は続いたが、特に フォードおよびデュポンと同様にモルガンおよびロックフェラー財閥との協力が顕著であった。彼らと協力していたモルガン-ロックフェラーの国際的な銀行・ 会社は、「ナチス産業の成長と密接に関係していた。」 [53] ロックフェラーのスタンダード石油帝国は、「ナチス・ドイツが第二次世界大戦の準備を助けることにおいて決定的な助力をした。」[54] それに加えて、ロックフェラー財閥は、合衆国における民族主義・エリート主義優生学運動への資金調達の中枢であっただけではなく、ナチス・ドイツに優生学 イデオロギーをもたらすことにおいて重大な役割を演じ、ホロコーストを生み出すような信念の成長を促した。[55]

           
ワイマール・ドイツの初めから終わりまで、ライヒスバンクの頭取であったヒャルマー・シャハトは、1933年から1939年までドイツ中央 銀行の総裁の地位にあった。そして、ナチス・ドイツの中心的人物であり、ドイツの再産業化・再発展・再軍備計画の主要な推進者であった。ヒットラーは 1934年にシャハトを経済相に任命した。 

           
欧州の中央銀行はナチスのゴールドを購入し始め、それは密輸され、熔解され、スイスで再刻印された(ソ連のゴールドと同様である)。ス ウェーデン、スペイン、ポルトガル、アルゼンチン、トルコ、フランス、大英帝国、および合衆国の全てが、「BISによって移転されたゴールドでナチスと交 易した。」 これは、中央銀行の共同作業として為されたもので、「BISはライヒスバンクに参入することを通してナチス・ドイツとのゴールドおよび通貨の取引を始めた のであった。」 シャハトは強大な影響力を行使し、「ナチス高官と外国の内通者をBIS取締役会に送り込むのに力を貸した。」[56]

 

帝国、戦争、そして新しいグローバル覇権の隆盛

 

第 二次世界大戦もまた、大規模な帝国変遷の期間であった。第三帝国の成長の結果、ナチス帝国主義は欧州と北アフリカに充満し、大日本帝国は中国に進出した。 その戦争の終わりにおいて、大英帝国とフランス帝国は消えたも同然であるが、アフリカとアジアに残った植民地を持ち続けていた。ソ連は荒廃し、欧州の殆ど とともにドイツは廃墟状態であった。この戦争で現れた最も重要なことは、新しい帝国アメリカ帝国の興隆であった。戦争への介入および解放軍としての欧州へ の展開によって、アメリカは太平洋における日本だけではなく欧州全体に拠点を得た。ソ連は、東洋から欧州をとって、その影響力と優位性を東欧に拡張した。 欧州に「鉄のカーテン」が下りたというチャーチルの演説のあと、冷戦が始まった。 このように、第二次世界大戦によって多くの欧州の帝国は衰退し、その時代が終わり、ソ連と合衆国によって分割された2極体制の世界が生まれた。

           
第二次世界大戦のあと、その産業基盤が戦争による荒廃を免れた、世界における唯一の主要国としての合衆国は、グローバル覇権国の地位を得 た。合衆国は、地球中の覇権力を発揮して、グローバルな超大国の地位を獲得するために、国内および国際的なインフラを整備し始めた。 王冠は大英帝国から 合衆国帝国に渡った。結局のところ、両国は中央銀行を通して主として代表される同じ財閥、および有力な株主である民間銀行財閥によって、所有・支配されて いたが、今もそうである。

           
アメリカが1941年後半に参戦する前に、キャロル・クイグリーがセシル・ローズの秘密クラブがその起源であると論じている円卓グループの アメリカ支部である外交問題評議会(CFR)がアメリカの参戦を計画していた。CFRが合衆国の外交政策を銀行エリートの確固とした支配下に置いていた。 合衆国は国際的な金融財閥に所有されていて、それ故、彼らの利益のために行動するであろうことを、連邦準備の設立(1913年)が確実にした。連邦準備は 第一次世界大戦における合衆国の役割に融資した。すなわち、投機のために信用を供給し、大恐慌を引き起こすとともに、連邦準備制度を所有する財閥の大規模 な合併を導いた。その後、連邦準備は合衆国の第二次世界大戦への参戦に融資した。

           
連邦準備が作られてから5年後に設立されたCFRは、国際的な銀行エリートのために国際主義政策の推進に取り組んだ。その国際主義政策と は、世界内のアメリカの立場に関する概念を、孤立主義産業国家から国際金融財閥およびそれに協力するアメリカの財閥のために動く帝国というエンジンに変え ることであった。連邦準備がお金と負債を支配した一方で、CFRはそのような帝国の観念的な基盤を支配した。すなわち、会社、銀行、政治、外交、軍隊、メ ディア、大学などの国内エリートを、一般的にまとまりのある全面的な世界観で取り囲んだ。ある人物が自分の持っていたイデオロギーをそのような世界主義政 策を推進するものに変えるならば、その背後にある巨額のお金によって、政界、産業界、学界、およびメディア界を通して、その人物は栄達が約束される。合衆 国のその他のシンクタンクや政策機関もCFRによって取り仕切られている。それらはエリート層内部の部門から成り立っているけれども、そのような部門分け はアメリカの帝国権力をどのように使うか、それを何処で使うか、どのような根拠によってその使用を正当化するか、および他の様々な方法論的な相違に基づい ている。エリートの間での部門において―我々はアメリカの帝国権力を使うべきか? 何故、アメリカは帝国になったのか? そもそも帝国は存在すべきなのだろうか―といった疑問が提起されることは決してなかった。そのように深く考慮し、それらの概念に疑問を提起する人物が、外 交政策機関、諜報機関、軍隊、大学、金融界、財界、あるいあはメディア界の内部にいるだろうか? 可能性はある。しかし、そのような人物はCFRのメンバーではない。

           
CFRは第二次世界大戦に対するアメリカの外交政策において政治的クーデターを企てた。戦争が勃発したとき、その評議会は戦争と平和の研究 と呼ばれた「極秘の」プロジェクトを開始した。そこでは、合衆国の政策を決めるために、CFRのトップメンバーが国務省と協働し、そのプロジェクトはロッ クフェラー財団によって完全に融資された。[57] 戦後の世界は評議会のメンバーによって既に計画されていて、彼らはそれらの計画を成立させるために政府に入り込もうとしていた。

           
ほとんど半世紀の間、アメリカの外交政策を特徴付けることになったソ連に対する「封じ込め」政策は、外交問題評議会の学術誌であるフォーリン・アフェアーズ誌の1947年版に記されていた。マーシャル・プランやNATOについてのイデオロギーの基礎も、これらの機関・制度を法制化・履行・指導するために補充された評議会のメンバーとともに、外交問題評議会によって考案された。[58] 評議会はまた国際連合の設立・振興において役割を演じたが[59]、その国連は後にジョン・D・ロックフェラーJr.によって買われた土地に建てられた。[60]

           

アメリカ帝国とケインズ政治経済学の興隆

 

自 由主義政治経済学の中で、著名人で英国の経済学者のジョン・メイナード・ケインズは、後にケインズ経済学として知られるようになったものへ自由主義学説を 発展させた。 経済界と政界は必ず分離されていると看做される自由秩序優位性の足跡を辿って、ケインズは政治と経済の関係を再考しようと努めた。彼の仕事は、自由経済秩 序の失敗と大勢が見ていた大恐慌に至るまで及びその後の出来事に大きく影響された。 ケインズは、「見えざる手」という自由主義の考え方を排除せずに、そ れをより明確な領域に制限することで、国家と市場の力を結合することを欲し、経済における国家のより広い役割を思い描いた。

           
金融あるいは経済の危機を払いのけようとする努力として、民間の個人がそうしない場合には、国家が行動する、すなわち投資するべきだとケイ ンズは主唱した。このように、ケインズは国家が市場を強化すると論じている。 マルクス主義学者は、資本主義社会において、資本家階級の利益を擁護するた めの制度上の組織として国家がどのように機能するかの例として、そのケインズの主唱を指摘しそうに思われる。 ケインズは自由市場から成る自由主義的な国際的秩序を擁護したが、国家が国内的に干渉すること、特に雇用維持とインフレ制御のために行動することを推奨し た。

           
ケインズの政治経済学説は、1944年に樹立されたブレトン・ウッズ体制を構築するための礎石として大いに役立った。そして、埋め込まれた自由主義(自由主義世界経済の推進と、国内経済への国家の介入)という彼の観念は、1970年代まで最高位に君臨した。

           
1944年、44カ国の連合国がニューハンプシャーで開催されたブレトン・ウッズ会議(国際連合通貨・金融会議)に参集し、戦争後の国際的 な金融・通貨秩序を再編成・調整しようとした。英国の代表者はジョン・メイナード・ケインズで、アメリカの代表者は偶然にもアメリカの経済学者で米国財務 省の高級官僚であるハリー・デクスター・ホワイトであった。 国際通貨基金(IMF)、現在は世界銀行の一部となっている国際開発銀行、および今では世界 貿易機構(WTO)の中に制度化されている関税と貿易に関する一般協定(GATT) の設立は、この会議の中からであった。それらは、地球全体に亘ってアメリカの覇権を行使するために制度化された経済的基礎として設計された。すなわち、それらは本質的に経済帝国のエンジンなのである。

                              
1947年に、ハリー・トルーマン大統領は国家安全保障法に署名したが、それによって国防長官は軍事組織全体および統合参謀本部を監督する 地位と定められ、戦時下の戦略諜報局(OSS)がCIAとして改組された。また、国家安全保障法によって国家安全保障会議も設立されたが、それは安全保障 担当補佐官によって統率され、国務省から離れて外交問題についての更なるアドバイスを大統領に与えるように設計された。 本質として、国家安全保障法は帝 国建設のための国家安全保障政府装置の基礎を作った。

           
CIAの創設は、外交問題評議会の戦争と平和研究プロジェクト、およびその役割だけではなくその機関の形態および構成を計画していたCIA 推進者によってせき立てられたものであった。彼らは全てウォール街の弁護士であって、大部分は外交問題評議会のメンバーであった。最初の20年間、CIA の副長官は全て「同じニューヨーク法律・金融界の出身」であった。[61]

 

 

Notes

 

[1]        Edwin Black, Banking on Baghdad: Inside Iraq’s 7,000-Year History of War, Profit, and Conflict. John Wiley & Sons, Inc.: 2004: page 105

 

[2]        Edwin Black, Banking on Baghdad: Inside Iraq’s 7,000-Year History of War, Profit, and Conflict. John Wiley & Sons, Inc.: 2004: page 107

 

[3]        Patricia Goldstone, Aaronsohn's Maps: The Untold Story of the Man who Might Have Created Peace in the Middle East. Harcourt Trade, 2007: pages 21-22

 

[4]        Patricia Goldstone, Aaronsohn's Maps: The Untold Story of the Man who Might Have Created Peace in the Middle East. Harcourt Trade, 2007: page 22

 

[5]        Niall Ferguson, Empire: The Rise and Demise of the British World Order and the Lessons for Global Power. Perseus, 2002: pages 193-194

 

[6]        Carroll Quigley, Tragedy and Hope: A History of the World in Our Time. The MacMillan Company: 1966: page 56

 

[7]        Carroll Quigley, Tragedy and Hope: A History of the World in Our Time. The MacMillan Company: 1966: pages 499-500

 

[8]        Herbert R. Lottman, Return of the Rothschilds: The Great Banking Dynasty Through Two Turbulent Centuries. I.B. Tauris, 1995: page 81

 

[9]        Patricia Goldstone, Aaronsohn's Maps: The Untold Story of the Man who Might Have Created Peace in the Middle East. Harcourt Trade, 2007: pages 22-23

 

[10]      Herbert R. Lottman, Return of the Rothschilds: The Great Banking Dynasty Through Two Turbulent Centuries. I.B. Tauris, 1995: pages 141-142

 

[11]      Herbert R. Lottman, Return of the Rothschilds: The Great Banking Dynasty Through Two Turbulent Centuries. I.B. Tauris, 1995: pages 143-144

 

[12]      Herbert R. Lottman, Return of the Rothschilds: The Great Banking Dynasty Through Two Turbulent Centuries. I.B. Tauris, 1995: pages 141-142

 

[13]      NYT, Rockefeller To Aid Czar? New York Times: March 6, 1906

 

[14]      Toyin Falola and Ann Genova, The Politics of the Global Oil Industry. Greenwood Publishing Group, 2005: page 215

 

[15]      Antony C. Sutton, Wall Street and the Bolshevik Revolution. Buccaneer Books, New York, 1974: pages 16-17

 

[16]      Antony C. Sutton, Wall Street and the Bolshevik Revolution. Buccaneer Books, New York, 1974: page 25

 

[17]      Antony C. Sutton, Wall Street and the Bolshevik Revolution. Buccaneer Books, New York, 1974: page 34

 

[18]      Antony C. Sutton, Wall Street and the Bolshevik Revolution. Buccaneer Books, New York, 1974: pages 25-26

 

[19]      Antony C. Sutton, Wall Street and the Bolshevik Revolution. Buccaneer Books, New York, 1974: pages 71-73

 

[20]      Antony C. Sutton, Wall Street and the Bolshevik Revolution. Buccaneer Books, New York, 1974: pages 89-90

 

[21]      Antony C. Sutton, Wall Street and the Bolshevik Revolution. Buccaneer Books, New York, 1974: pages 73-77

 

[22]      Antony C. Sutton, Wall Street and the Bolshevik Revolution. Buccaneer Books, New York, 1974: pages 82-83

 

[23]      Antony C. Sutton, Wall Street and the Bolshevik Revolution. Buccaneer Books, New York, 1974: page 87

 

[24]      Antony C. Sutton, Wall Street and the Bolshevik Revolution. Buccaneer Books, New York, 1974: pages 127-135

 

[25]      Antony C. Sutton, Wall Street and the Bolshevik Revolution. Buccaneer Books, New York, 1974: pages 159-161

 

[26]      Antony C. Sutton, Wall Street and the Bolshevik Revolution. Buccaneer Books, New York, 1974: pages 166-167

 

[27]      Antony C. Sutton, Wall Street and the Bolshevik Revolution. Buccaneer Books, New York, 1974: pages 172-173

 

[28]      Michael Kort, The Soviet Colossus: History and Aftermath. M.E. Sharpe, 2001: page 202

 

[29]      Time, Russia & Recognition. Time Magazine: August 18, 1930: http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,789203,00.html

 

[30]      Time, Everybody's Red Business. Time Magazine: June 9, 1930: http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,739474-5,00.html

 

[31]      H.W. Brands, "He Is My Independent Self". The Washington Post: June 11, 2006: http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/06/08/AR2006060801104.html

 

[32]      CFR, Continuing the Inquiry. History of CFR: http://www.cfr.org/about/history/cfr/inquiry.html

 

[33]      Chatham House, CHATHAM HOUSE (The Royal Institute of International Affairs):  Background. Chatham House History: http://www.chathamhouse.org.uk/about/history/

 

[34]      Carroll Quigley, The Anglo-American Establishment. GSG & Associates, 1981: page 5

 

[35]      Carroll Quigley, Tragedy and Hope: A History of the World in Our Time. The MacMillan Company: 1966: pages 132-133

 

[36]      William L. Cleaveland, A History of the Modern Middle East (Boulder: Westview Press, 2004), 37-38

 

[37]      William L. Cleaveland, A History of the Modern Middle East (Boulder: Westview Press, 2004), 49-50

 

[38]      Ellen Hodgson Brown, Web of Debt. Third Millennium Press: 2007: Page 2

 

[39]      Carroll Quigley, Tragedy and Hope: A History of the World in Our Time. The MacMillan Company: 1966: pages 326-327

 

[40]      John Kenneth Galbraith, Money: Whence it Came, Where it Went (Boston: Houghton Mifflin Company, 1975), 173

 

[41]      John Kenneth Galbraith, Money: Whence it Came, Where it Went (Boston: Houghton Mifflin Company, 1975), 174-175

 

[42]      Carroll Quigley, Tragedy and Hope: A History of the World in Our Time. The MacMillan Company: 1966: page 342

 

[43]      Carroll Quigley, Tragedy and Hope: A History of the World in Our Time. The MacMillan Company: 1966: page 344

 

[44]      Alan Greenspan, “Gold and Economic Freedom” in Capitalism: The Unknown Ideal. (New York: Signet, 1967), 99-100

 

[45]      Time, HEROES: Man-of-the-Year. Time Magazine: Jan 6, 1930: http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,738364-1,00.html

 

[46]      Antony C. Sutton, Wall Street and the Rise of Hitler. G S G & Associates Pub, 1976: pages 15-16

 

[47]      James Calvin Baker, The Bank for International Settlements: evolution and evaluation. Greenwood Publishing Group, 2002: page 2

 

[48]      Carroll Quigley, Tragedy and Hope: A History of the World in Our Time (New York: Macmillan Company, 1966), 324-325

 

[49]      Carroll Quigley, Tragedy and Hope: A History of the World in Our Time (New York: Macmillan Company, 1966), 324

 

[50]      James Calvin Baker, The Bank for International Settlements: evolution and evaluation. Greenwood Publishing Group, 2002: page 6

 

[51]      Melvin Urofsky and Paul Finkelman, A March of Liberty: A Constitutional History of the United States Volume II From 1877 to the Present 2nd Edition. Oxford University Press, 2002: pp. 674

 

[52]      Antony C. Sutton, Wall Street and the Rise of Hitler. G S G & Associates Pub, 1976: pages 17-19

 

[53]      Antony C. Sutton, Wall Street and the Rise of Hitler. G S G & Associates Pub, 1976: pages 19-20

 

[54]      Antony C. Sutton, Wall Street and the Rise of Hitler. G S G & Associates Pub, 1976: page 51

 

[55]      Edwin Black, Eugenics and the Nazis -- the California connection. The San Francisco Chronicle: November 9, 2003: http://www.sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?file=/chronicle/archive/2003/11/09/ING9C2QSKB1.DTL

 

[56]      James Calvin Baker, The Bank for International Settlements: evolution and evaluation. Greenwood Publishing Group, 2002: page 202

 

[57]      CFR, War and Peace. CFR History: http://www.cfr.org/about/history/cfr/war_peace.html

 

[58]      William P. Bundy, The History of Foreign Affairs. The Council on Foreign Relations, 1994: http://www.cfr.org/about/history/foreign_affairs.html

 

[59]      CFR, War and Peace. CFR History: http://www.cfr.org/about/history/cfr/war_peace.html

 

[60]      UN, 1945-1949. Sixty Years: A Pictorial History of the United Nations: http://www.un.org/issues/gallery/history/1940s.htm

 

[61]      Peter Dale Scott, The Road to 9/11: Wealth, Empire, and the Future of America. (Berkeley: University of California Press, 2007), 12


 


 






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最終更新日  2016年02月09日 14時36分46秒
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