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萬華鏡-まんげきょう-

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2006年06月21日
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「源氏物語と能」についての講演は文芸評論家 尾島政雄先生でした。

ここで、この日の講演内容をおさらい・・・
大分日が経過してしまっているので、尾島先生がお話された内容以外にあれこれと脚色が入っておりますゆえ、ご容赦くださいスマイル



紫式部は藤原道長の大姫である中宮彰子に女房として宮仕えしていました。
何と言っても「源氏物語」の作者として有名。
この平安時代に活躍した女性の中でよく対比、紫式部がライバル視をしていたのでは、と噂される(?)人物が枕草子の清少納言。
紫式部の生没年は不詳ですが、41~2歳で亡くなり、清少納言とは約10歳程度の差であったろうと言われています。ちなみに清少納言は60歳くらいまで生きていたので当時としてはまぁまぁの長寿だったと言えるんでしょうね。
学問の家の出で、人間の洞察力に長けている紫式部に対し、平安時代の歌人清原元輔きよはらのもとすけの娘である清少納言。お互いに平安時代を代表する"才女"です。
紫式部日記にはあまり清少納言に対して良い事が書かれてない、ということから犬猿の仲、などと言われているようですがはてさて・・・どうなんでしょうね。

能「源氏供養」では、源氏物語六十帖(実際は五十四帖)を書いた者である・・・と名乗りますが、名は明かしていません。

さて「源氏物語」について少し。
主人公は光源氏。
見目麗しく高貴な身分に生まれていますが、母親(桐壺の更衣)の身分が低かったために臣下に下りました。その後、母は光源氏を生んで間もなく亡くなります。
そして新たに入内した藤壺の女御(継母)への恋慕。
いずれ藤壺は光源氏の子を宿し、桐壺帝の子として生むことになります。
禁断の恋に苦しみ、さらに藤壺の面影を追い続け、幾多の女性と関係を持ちます。
天皇として即位はできなかったものの、位を極め、子は冷泉帝として即位。
しかし、後年、妻へ迎えた女三宮に裏切られ他の男の子を我が子として腕に抱くこととなる。
因果応報とも言うべきか・・・
人生は栄華を極めてもいづれ衰退していきます。

藤原道長もまた「この世をばわが世とぞ思ふ 望月の欠けたることもなしと思へば」と即興の歌を歌い、最高の地位まで昇りつめましたが晩年は思い煩うことが大いにあったようです。それはかつての政治の争いで犠牲になって怨みを持って死んだ人たちの怨霊によるものではないかと・・・。
余談ですが、晩年の道長は病気に苦しみました。それは怨霊が原因ではないかと噂され、なおかつ釈迦の死後2001年目からは、災いの絶えない世になるという末法思想が広まったせいで、道長も来世で極楽へ生まれることを願い、最期(享年63歳)は法成寺阿弥陀堂で念仏を唱え、仏像から引いた糸をしっかり握りしめていた、と言います。

かの陰陽師 安倍晴明もまたこの藤原道長に重用されたことを思うと、権力を手に入れるとともに背後に忍び寄る多くの人々の怨念に悩まされ続けた人生とも言えるのでしょうか。

今回は「陰陽師ネタ」ではないので話を元に戻しましょう(苦笑)
いつもこうして脱線しまくりですが・・・( ̄▽ ̄:)

順風満帆な人生を歩むもこのようにして静かに果てるとき、一体、人は最期の最期に何にすがるべきか

尾島先生は、「この答えはこの能「源氏供養」のクライマックスにあります。お楽しみください。」と解説をされました。

さて、答えは・・・何だかわかりましたか?
道長が最期の最期にすがったもの、ですね。


ちなみに・・・演能後、尾島先生への質問コーナーでお答えくださっていた内容は源氏物語の原本現存について。

源氏物語の原本はすでに失われていて、存在していません。
当然、この物語が流行した時代に印刷の技術があるわけもなく、自らの手で写し(書き取って)複製したわけです。
著作権なんてものもありませんから、書き写していくうちに「私ならこういう風に書くわ」なんて変化して行ってしまったところも多いようですね。。

オリジナル・・・はどんな物語だったんでしょうね。どれくらい違うんでしょう(苦笑)




さて、ここから演能後 能を知る会恒例の「質疑応答」コーナーです。
ここでもまた、あめみこの覚書をば、ちょこっと・・・
ある部分は台詞形式で記載しましたが、実際の貫太さんがお話した内容とは・・・大分ずれているかもしれませんので、その点ばかりはいつものことながらご容赦ください。


Q.面は何でしたか。
A.面は増(ぞう)女です。こちらの流儀(観世)では増女を用いるそうです。他では小面若女であったり流儀によって違うとのこと。

若女はその文字どおり若い女性の面ですが人妻だそうで・・
小面は清純な穢れなき乙女・・・

晶三さんは「羽衣なんかでかけますが、いわゆる"バージン"ですな」なんて仰ってました(笑)

増女は、比較的若くない中年の女性の面です。
女だなんて書くものだから、"年増"なのね・・ちょっと失礼なお名前ねっ怒ってる!と勝手に解釈していましたら・・・
増阿弥ぞうあみ」という人が作者だからなんだそうで・・・( ̄▽ ̄:) 納得。

出典:IPA「教育用画像素材集サイト」 http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/

Q.面をかけている時の空間認識は
A.「基本は柱です。本来、能はあまり前へ出てからお尻を見せて下がるということをあまりしません。(お殿様にお見せしていたので)なので、後ろへ回り込みます。そのときに、囃子方の支柱が目印になります」
(これは前回の質疑応答でも仰ってましたね♪)
「視界は殆ど見えなくなってしまうのですが、地謡座のほうは何とかワキツレの頭が少し見えるのでぶつかることはないですね。」

「鎌倉(能舞台)は自分の家なので、どこにでもセンサーはあって、板の張り合わせの継ぎ目で橋掛リのどの辺か、足裏に神経を集中させると、ここはシテ柱の横かな?などがわかります。

へぇ~!!!すごいですね~。長い謡を謡いつつ、シテの存在感を漂わせながらも足裏に神経が・・・さすがですね。足裏センサー・・これもまたサイボーグですね(笑)

「ただ、舞台から落ちないように舞台の端にはちょっとした出っ張り【かまち】というものがありますでの、それに足がかかると「ここから先に行ってはいけないな」というのがわかります」

ほぉ~!!!今度シテ方がその【框】に足がかかった瞬間をチェックしてみよう(笑)

Q.能舞台にある松と竹の意味を教えてください。
A.待ってました!という感じで(笑)
「これは鏡板かがみいた、と言います。」
「昔は屋外で能や狂言は行われていました。今のように、コンビニなどのお店の目印はないので、大きな木の下などで行っていたんですね。」
「そのうち、毛虫が出るわ枯葉が散るわではどうも、というので、木の絵を描くことにしました」
「そこで【松と竹】は他の草木を滅ぼして伸びる・・・よく「竹林ちくりん」と言いますが、色々な樹木があるとそれは「森」になりますからね。」
「江戸時代にこの松と竹が固定化されましたが、これは武家にとって松や竹はこのように"他を滅ぼして伸び続ける、まさに武家にとって理想的なものの象徴"として描かれたと言われています」
「また能舞台の松は春日大社の"影向の松ようごうのまつ"がモデルになっているとも言われていますが、これは漢字の"久"を逆にした形です」
「それから、普通、能楽堂の鏡板は板が剥がれるように出来ています。必ず能楽堂にはスペアの鏡板があって、取り替えたりもできるわけです。有名な名古屋能楽堂の鏡板も2年に1度、姫小松が飾られますが・・・あれは当時問題になって、ウチの偉い方が更迭されてしまったということがありましたが(苦笑)、まぁ、横浜能楽堂にも当然スペアの鏡板があります。」
「だから、松の絵は絵師の方が床に置いて(並べて)描くわけですね。」
「ただ、ウチ(鎌倉能舞台)は外れません。なので、壁にそのまま描いてもらったので、絵の具が垂れてくるから押えながら描いていただいて、結構大変でした。」

「ウンチクはいくらでも出てくるのですが・・・(笑)」と言いつつ、先日の横浜能楽堂と同じように饒舌に見所からのご質問にお答えくださいました。
もっといっぱい"ウンチク"お聴きしたいですね~。

え?あめみこは質問しないのかって?
・・・いや、恥ずかしくて、ねぇ( ̄▽ ̄:)誰も手を挙げないと、何かソワソワしちゃうんですが、いざとなると質問も出ません(苦笑)
いつかは・・・と思うのですがね。。。←とはいえ、面は?装束は?くらいの質問くらいしか出来ないかも。

毎回、このように質問コーナーを設けてくださる公演。この2回を観てみましてもかなりお得感いっぱいで、ハマっちゃいました(笑)



【あめみこレポ後記】
はい、これまた三部作になっちゃいまして。。
長げぇよっ・・・と言わずにお付き合いくださる方、いつも感謝しております( ̄∀ ̄)
読み返さずエントリーしておりますゆえ、誤字脱字・・誤解(誤解はあっちゃまずいのだけれど・汗)ド素人の書く駄文レポなので、とりあえずお許しください(汗)

また修正・追記に入ります( ̄▽ ̄:) えへ


手まりと書物



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最終更新日  2006年06月21日 23時26分49秒
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 Re:-「源氏供養」演能後の質疑応答覚書-県民のための能を知る会 鎌倉公演より(06/21)   りゅう6339 さん
人生最期の最期に何にすがるべきか。。。
答えは仏像。。というより神ともいうべきか
結局いつの世も最後に行く着くのはそれなのですね
神は頼るものにあらず信ずるものという言葉がありますが、最後には頼っちゃうんですねぇ
やはり日頃の信心が大切ですね (2006年06月21日 23時38分35秒)

 Re:-「源氏供養」演能後の質疑応答覚書-県民のための能を知る会 鎌倉公演より(06/21)   Arabesqu さん
足裏センサー、出っ張り【框かまち】。
今回も勉強になりました。 (2006年06月22日 03時14分55秒)

 Re:-「源氏供養」演能後の質疑応答覚書-県民のための能を知る会 鎌倉公演より(06/21)   ルビコン さん
源氏物語、読み返したくなっちゃいました。
もちろん瀬戸内さんの現代語訳辺りで…ですけどね(笑)

>増女の面

私も思いっきり年増女の事を表してると思っていたら、作者からちなんだものなんですね。
被害妄想膨らみすぎちゃって、「昔は、こういう女に手厳しいからね( ̄▽ ̄;)」と苦々しく思ってた事を、ちょっと恥ずかしく思いました。

足裏がそんなに敏感になんてるなんて、とても面白いお話ですね。
まさに常日頃の稽古のたまものなんだと改めて思いました。

それと、鏡板のお話、お話される方が違うと、話される内容も、照らし出す角度もこんなに違うんですね。
貫太先生の人柄、って事ですね。 (2006年06月22日 14時44分24秒)

 りゅうさん   あめみこ さん
最後にすがるべきもの、神か仏か。
最終的にはそうなんでしょうかね。
平家物語ではありませんが、人生の中の栄枯盛衰。能を見ていると想いを残すは全て輝いていた時代のことを思って、というものが多いですね。
華やいだ人生ほど終焉は物悲しいのでしょうか。 (2006年06月23日 21時09分05秒)

 Arabesquさん   あめみこ さん
Arabesquさん

足裏センサーには驚きました(笑)
シテの心の中に集中しつつ、足の裏にまで神経がっ
長年の修練の賜物でしょうが、凡人には到底予想もつかない芸当ですね。 (2006年06月23日 21時10分34秒)

 ルビコンさん   あめみこ さん
私もねぇ、この源氏供養を観て、そして他の方の観能レポを読んでいると、余計に源氏物語が読みたくなっちゃう(どこしまったかな~・・・)
でも、全部読むのは平家物語同様、途方もなく大変・・・ううう。
これは手っ取り早く「あさきゆめみし」で堪能しようかな(笑)
私は田辺聖子さんの本を読みましたが瀬戸内寂聴さんの本は途中になってます(苦笑)面白いですか。再挑戦してみようかな~。

>増女
やっぱり?ルビコンさんもそう思いました??よかったぁ~私だけじゃなくて(爆)
でも増女は「あまり若くない女性の面」と聞いたら「年増」って思っちゃいますよね(さらに爆)

足裏センサーのお話は興味深いものでした。
萬斎さんが狂言サイボーグ、というのも頷けますが、能楽師の方々も同じようにサイボーグだなぁと(笑)

>それと、鏡板のお話、お話される方が違うと、話される内容も、照らし出す角度もこんなに違うんですね。

ルビコンさんのお聴きになった鏡板のお話はどのような感じだったのでしょう。私も本でくらいしか読んだことがなくて、あ、萬斎さんがカリスマスクで松の絵について話ておられましたね。
女性と男性を表す、というのでもまた「ほぇ~」と思ったものですが(笑)この手のお話はなかったかな?貫太せんせいのお話、とても面白いですよ。

他の能楽師の方が話されるテンポって割と、ゆったりとしていることが多かったのですが、貫太さんはとても丁寧な話し方なのですが、とっても饒舌。立て板に水という感じで結構早口なんですよ~。なもんで、メモってる時間もないという(笑)ボールペン持ったまま固まっていたので上記のようなことしか記憶できませんでした(もっと何かあったはずなんですけれどね・苦笑) (2006年06月23日 21時17分50秒)

 Re:-「源氏供養」演能後の質疑応答覚書-県民のための能を知る会 鎌倉公演より(06/21)   茜♪ さん
いつも丁寧なレポ頭が下がります。そして、「おお・・・」ってところが必ずあって、勉強になりますわ。ありがとう♪・・・でも、すぐ忘れちゃうのよね。老化現象?いや。もともとです、ハイ。
質問コ-ナ-いいですね。
解説なんかもそうですが、どどどしろうと(もっと、ど、がいるかな)の私にはとってもありがたいです。自分で予習するには限界があるし。。。。
何度か通いつめてるうちに、あめみこさんもいっぱい質問してたりして。くふふ。

源氏供養ってあまり聞かないですね。
すんごい。
六十帖って。そりゃあ、まちがえますわよ。
見ただけでくらくらする。
私の実家の近くには紫式部縁の石山寺があります。秋の紅葉がきれいで、結構よく出かけます。
紫式部がここの本堂から月を見上げて「源氏物語」書き始めたといわれています。秋には小さなろうそくを境内いたるところにいっぱいに並べてライトアップし、夜間拝観ができます。なかなか、趣があってよいですよ。あ、本堂ではコンサ-トもやってたなあ。
チャンスがあれば是非!
ただ、本堂の付近の暗い部屋に、等身大の紫式部の人形が置いてあって、外から覗けるようになってます。源氏物語を書いている所を表していますが、暗がりのなかの紫式部人形はちょいと怖いかも。ほほほ。

右近左近、おもしろいですね。
最後ひとりぼっちの左近は可愛そうですが、でも私には妻からすんごく愛されてるように受け取れましたが。。。なんか頼りないし、すぐすねちゃうんだけどほっとけないっていうか。。。左近との仲まで疑っちゃって。あきれちゃう!。。。でもふふふ、しょうがないわねえ。。。って。
近い期間の間に2回観る事ができるのはラッキ-ですね。また感想聞かせてくださいね。楽しみにしてます。


(2006年06月25日 21時27分49秒)

 茜さん   あめみこ さん
こんばんは♪
丁寧、というより無知なところが多くてですね、あれこれと調べると興味深くて書き残したくなっちゃいますね。どどどどどどしろうとの書くもので、違った解釈も沢山してそうで恐ろしいのですが(汗)

>自分で予習するには限界があるし。。。。

そうなんですよね。本やネットで読む以外に能楽師の方や能楽ジャーナリスト、大学の先生など専門の方のお話って普段聞けないですからね。あるととってもうれしい♪
で、つい「ね、ね、ね、こんなこと聞いたの♪ね、すごいね!」と他の方と共有したくなっちゃう(笑)←押し付けがましいのです
いつもお付き合いくださってありがたいです。
こうして三部作に及ぶのもアクセスくださっているからですわ~♪

>私の実家の近くには紫式部縁の石山寺があります。

茜さんのご実家の近くでしたか。そう、紫式部のお人形が源氏物語を執筆していると、尾島さんが仰ってました。
いいなぁ、いいなぁ~、近くだったら絶対に行くのになぁ~。

>でも私には妻からすんごく愛されてるように受け取れましたが。。。なんか頼りないし、すぐすねちゃうんだけどほっとけないっていうか。

現実社会でこんな夫を見たら少し「うんざり」しちゃうのかもしれませんが(笑)他人事であることと、また狂言のもつ力によって何かホンワカした心持が残るんですよね。そう、私もお互いこの夫婦は慈しみあっている、愛があるんだろうなぁという感想を持てたのでした。はてさて和泉流はいかがなものでしょう。来週です!! (2006年06月25日 23時02分55秒)


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