カテゴリ:小早川系雑談
今日は三原編の本編で書かなかった事を少々。
職場では自分の趣味は話さないけど、 それなりに近しい人はぼちぼち知るようになってきた。 三原へ行ったのは夏休み。 休みに入る少し前、私の趣味を知ってる2人の同僚と一緒に帰った。 2人のうちの1人、Sさんは旦那様が城や歴史が好きらしく、 Sさん自身もマンガで普通の人よりはいくらか戦国時代を知ってる。 「夏休みはどこに行くの?」 「ひろしま~!」 「またお城?」 「そうですう~」 てな会話から始まって、Sさんが 「聞いてもわからないかもしれないけど、 今度は誰がお目当て?」 と聞いてきたので、 「あの・・・こ、小早川隆景・・・」 っておずおずと言ってみたら、 「う~ん・・・ その人は知らないけど、アレなら知ってる~。 ホラ、裏切った人~!」 「ああ!その小早川です! その裏切りモンの養父なんですよ!」 そ、そうか・・・ 一般的には隆景より金吾(秀秋)の方が名が知られてるんだ・・・ まあ、あの大きな戦で大活躍(?)をしたんだしな。 ドラマでも小説でもゲームでも、関ヶ原を取り上げる場合、 金吾は外せないキャラだしな・・・ 初めて知る現実に、軽いショックを受けた。 夏休みが終わり、ミワラ土産を配った。 Sさんとは同じチームなので、土産を渡して休みのお礼を言った時、 「そういえば、あの後ダンナに小早川隆景って知ってる? って聞いてみたんだ~。 そしたら、どんな人かは知らないけど、ゲームでは 滅茶苦茶強いキャラだって言ってたよ~」 「そりゃ、強いと思いますよ・・・」 やっぱり旦那様も、隆景はゲームでしか知らなかったか・・・ あれだけすごい人なのにな 武将・政治家としての才覚、隠居前まではろくろく自分の城にも 落ち着いていなかっただろうというほどの数々の戦歴。 「歴史が好き」というレベルにも色々あるし、 大抵の人は時代や地域が限定されてる「好き」なので、 特に層の厚い戦国に特別の関心を持たない人には確かに知られていないのかもしれない。 あれ、そういえば私が隆景を知ったのって、いつ頃だ? とふと我が身を振り返ってみた。 過去、「歴史との関わり」にも書いたけど、 数年前までは私はホントに戦国時代の知識が全くといっていいほどなかった。 当時、私が知ってた名前といえば、三英傑ぐらいかも 加藤清正・真田幸村・石田三成あたりの名前だけは知ってたけど、 戦国時代の人という認識はなかった。 あ、明智光秀は知ってたな。信長様とセットになってるからね(笑)。 ゲームでようやく念願の戦国デビューの足がかりをつかみ、 手当たり次第にあれこれ読んだけど、最初はやっぱりメジャーどころから入った。 その流れで関ヶ原について読んでいるうち、 「小早川隆景がもし生きてたら、関ヶ原はどうなってたか?」 みたいなテーマで隆景の名前をちらほらと目にするようになったような気がする。 「小早川隆景?何なんだ、この人?」 と思ったものの、どうも毛利さんちってアクが強いイメージがあって、 あんまり好きじゃなかったので、それ以上調べようという気もなくそのまま・・・ まさかその数年後に隆景を好きになり、 しかも毛利関連の史跡を訪ねに広島へ通うことになるとは、 その頃は思いもしなかった。 う~ん、なんでこんなに隆景の知名度って低いんだろ? 陪臣だから? でも隆景はただの陪臣じゃないし、後には独立大名として 中央に参画してるのに。 戦国ファンでもね、さすがにほとんどの人が名前くらいは知ってるでしょうけど、 その実態を知ってる人ってやっぱ毛利ファンとかホントにディープな 物知りくらいなんじゃないかな。 広島に行くようになってから、旅の準備として 関連の史跡やら城やらについて調べてるけど、 隆景に入れ込んでる人ってあんまり見たことないし。 戦国BLの世界なら、美少年というウワサがあるし、 大内義隆がらみでBLマニアに人気がありそうだけど。 (↑読んだことないので、実態は知りません) 隆景ちゃんは、その実績に反比例して、とても地味な存在である変わった人。 いや、決して隆景の評価が低い訳じゃないけどね。 「隆景が好き」って人もいるにはいるし。 ただ、どうも埋没しがちというのが私の印象。 そう考えると、数年前の大河ドラマ「天地人」は 随分思い切った選定だったな~とあらためて思う。 かねたん(直江兼続)なんて、明らかに隆景ちゃんより 数段マイナーじゃん!! いや、戦国はホントに層が厚いし、マイナー武将に光をあてるのは いいことだと思うけどね、でもかねたんが主役を張れるんなら 隆景ちゃんだって毎週夜8時から1年間TVに出張ったっていいんじゃない? まあ、エピソードには困らないけど、単独での出陣ってほとんどないからな・・・ それに、晩年がちょっとマイナスなイメージなのかも。 あの体を張った養子縁組とかね。 なにせ、隆景の代じゃないけど、最後は断絶ですから。 でもでも、晩年なんてみんな寂しげに死んでいくんだし、 なんとか行けないものかなあ・・・ しかし、知名度が上がるのはいいことだと思いながらも、 三原駅構内にある「隆景広場」の表示を見た時は、 「隆景の何たるかを知らない人間までが、 ”待ち合わせは隆景広場でね”とか ”隆景広場が・・・”とか隆景・隆景と呼び捨てにするのも イラッとくるなあ」 と思ってしまった、複雑なジジイ心・・・ さて、偉大なる小早川隆景がこんな調子ですので、 その養子ともなればさらにマイナーです 養子って言っても、金吾じゃなくて、秀包(ひでかね)様の方ね。 秀包様は、「大津編(12)」で一瞬だけ顔を出してます。 私は「ケータイ国盗り合戦」に登録してるんだけど、 最近では国盗りも付随するゲームをする事もなく、 毎日出題される戦国クイズだけやってます。 先日、このクイズに秀包様が出た。え~と、確か 「毛利元就の9男であり、兄である小早川隆景の養子となった人物は誰?」 てな問題だったと思うけど、正解率49%。 うっわ~、予想はしてたけど、知名度低っ!! いや、待てよ・・・49%は高い方かも。 4択で、他の3者が景平・元春・隆元だから、 消去法で景平と秀包様の2択に絞られてこの結果か・・・ 毎日の正解率を見てると、あまり歴史に詳しくない人も 多く参加してるようなので、秀包様の実際の知名度はわからないけど、 仮に戦国ファン限定でやったとしても、正解率が相当低いであろうことは 容易に想像がつく。 幕末まで存続した大名家でさえこれだから、 戦国大名に討伐・吸収されていった国人衆なんてなおさら まあ、知名度だけがすべてじゃないけどね、 山ほどいる埋もれた武将たちにもっと光が当たればいいのにな~って思う 今日この頃です。 もちろん私も、本編の方でできるだけ紹介していきたいとは思ってるけどね、 何しろ進行が遅いし、今は休止中だし(笑)。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年05月31日 22時14分59秒
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