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戦国ジジイ・りりのブログ

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2013年01月16日
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カテゴリ:城(中国)
前回はやたら色んな事を書いて、

「ジジイ、ついにボケたか!?」

って心配した方もおられるかもしれませんが、
あれすべて前置きです、前置き~。

でも、あれでも全部書いてない。
全部書いてたらキリがないので、カットできる部分は思い切って
ごっそりカットしています。

ホントは直接今回の記事とは関連のない事柄も含まれてるんだけど、
そこはこれから安芸の旅日記がえんえん続くと思うので、
書ける時に基本的な事を書いていかないと後がキビシイな~ってことで
内容を選びながら書いてる訳です。


さて、ほぼ1話まるごと前置きに使って、やっとスタートライン。
ここからは鏡山城の歴史で最も有名な「鏡山城の戦い」に入ります。

知ってる人にはかなり有名な話だし、大内・毛利ファンの私にとっては
関ヶ原と同じくらいメジャーな戦いの気分なので(←大げさ)

「今さら書かなくてもいいよね~」

って言いたくもなりますが泣き笑い、それじゃ前置きを書いた意味がないしな・・・

でもたぶん、鏡山城の戦いを知らなくても

「ああ、このエピソードってこの時の話なんだ~」

って思う方もきっとおられるはず。
それくらい、ひとつの大きな転機を迎えた戦いです。




時は大永。
大内義興さんが京より帰国してからは、石見と安芸で尼子との争いが一層激しくなった。
尼子経久に奪われていた鏡山城も、再び取り返したらしい。

「石芸の国人ら、昨日は大内に質を出し、今日は尼子に礼を執りて」
とは「陰徳太平記」の記述で、相変わらず国人衆は大国に振り回される日々が
続いていた。

毛利家では、元就と共に幼主・幸松丸の後見を務めていた高橋久光が
とある合戦で討死し、唯一の後見人となった元就の存在感はアップした。
同時に、安芸で勢力をふるった高橋氏の立場は低下し、
代わって毛利家の立場が相対的に上がることとなった。

また、この数年前に元就は初陣を果たし、
大内義興さんを裏切った武田元繁を討ち取って武名を上げている。



尼子経久は、国人衆の調略に励んでいたが、
大永に入って尼子方の武田光和(元繁の子)の協力を得た
厳島神主一族の友田興藤(おきふじ)が大内方の桜尾城を奪って
公然と大内家に反旗を翻した。

ほくそ笑んだ経久は、ついに腰を上げた。


狙いは鏡山城。
居城である月山富田城から出陣した経久は、大永3年(1523)6月、
大軍を率いてまずは毛利領の北に位置する高田郡北池田まで進んだ。

そこで重臣の亀井秀綱を使者として毛利家の本拠・郡山城へ送り、
自軍への参加を要請した。

毛利家中では当然困惑したが、大軍を前にしてはもはや選択の余地はない。
幸い、尼子寄りだった吉川家とは姻戚関係もあったし、
一揆の同盟者である平賀氏などもこの時点で尼子方となっていたので、
孤独な裏切り者という状況にはならなかった。


決断した元就は、9歳になる幸松丸を連れて尼子本陣へ向かった。
経久66歳、元就27歳。
英雄同志のごたいめ~んきらきら


「元就殿が同行するなら、猿掛城はカラにな~な・・・
どげだらか、尼子の兵を留守居にしては?」
 (←出雲弁)

「いや・・・そりゃぁちぃと・・・」

ここで毛利家家臣の桂元澄が助け舟を出した。

「わしががっちり守っとくんから!
安心してつかぁさい!!」


英雄のお見合い、ハナから怪しい雲行き・・・



安芸国人衆を従えて鏡山までやって来た尼子軍ご一行様。
元就は鏡山の東北に位置する八幡山の麓の満願寺に、
経久は下見峠、あるいは鏡山の北の陣ヶ平山に陣を置いたという。

義興さんはこの時、九州に出陣していた。
惜しかったなあ、もし義興さんがいたら鼻血モンの超豪華キャスティングだったのに(笑)。
もちろん、義興さんの九州参陣を見計らって経久が来た訳だけど。

これまで鏡山城の維持に貢献してきた西条衆も、
この時ばかりは尼子の大軍を見て後詰めを諦め、
自分の城を守るのが精一杯だったそうな。



尼子軍は、一説によると数万だったともいわれる。
経久の見守る中、元就は吉川軍ら4,000の兵と共に6/13に城攻めを開始。


鏡山城を守るのは、蔵田房信。
「鏡山城(2)」で東西条代官として名前の出た方です。

代官とはいっても、平和な時代のことじゃありませんから、
蔵田さんは文官じゃなかった訳です。

それから房信の叔父・蔵田直信が副将として鏡山城を守備した。


通常、城将が本丸にいるもんだと思うけど、
この戦いでは本丸が手狭だという理由で房信が二の丸、直信が本丸にいたらしい。

確かに本丸はそんなに広くはなかったからな。
礎石建物が御殿場にあったというけど、あそこにそんなものがあったら
もっと狭いわ。

ここまでの本丸エリアの写真を思い出して下さい。
あそこで実際に大内軍と毛利・吉川連合軍の激しい戦いが行われたんです。
そして、鏡山城はなかなか落ちませんでした。



ここで、元就さんの登場です。
大内軍には後詰めも期待できないんだし、どこかに隙があるはずだ・・・
そう考えた元就さんは、副将の直信に使者を送りました。

「このままじゃ、蔵田の家は全滅じゃ。
房信の首を取ったら、あんなぁ(彼)の所領をそのままあげるけぇ。
蔵田の血を絶えさせるんか?」


利にさとかったとも、甥である房信に不満を抱いていたともされるが、
ともかくこの誘いに直信はあっさり乗ってきた。


叔父の手痛い裏切りに驚いたのは房信。
それでも本丸で一昼夜防戦したともいわれるが、
最後は妻子の助命を条件に切腹を願い出た。

・・・て事は、妻子は城内にいたんだね。
東西条代官みんながそうかはわからないけど、少なくとも房信さんは
単身赴任じゃなくて、家族と共にここで生活してたんだ。

まあ、居館は別のところにあったかもしれないけど、
東西条は最前線であり周囲の環境も複雑なところだから、
妻子も城内で起居していた可能性は高い。


房信の申出を経久に取り次いだところ、経久もこれを快諾。
6/28に城は開城され、房信は自刃した。



尼子方と大内方の殊勲者、元就と蔵田直信はそろって経久の本陣へ向かった。
が、経久は房信の申出は受諾したものの、直信の裏切りについては激しく非難した。

そして直信の処刑はすぐに実行されたという。



この当時、裏切りは特に珍しいことでも何でもない。

大内と尼子の争いひとつ取ってみても、安芸や備後で
鮮やかに白と黒が入れ替わるオセロのようなことが幾度繰り返されてきたことか。
オセロの駒は、もちろん国人衆。
そしてこの先も、オセロは続く。
だから、元就も直信も当時の慣習としてそこは割り切っていた。


直信を処刑した経久の真意はわからないが、一般的には他の国人衆への見せしめ、
それから元就への牽制といわれる。

思いっきり約束を反故にされた元就は、まっつぁおになった。
このままじゃ、下手したらイソップのオオカミ少年になってしまう・・・!

しかも、出陣の際、経久は尼子の兵を猿掛城に入れようとした。
この一連の出来事により、元就は経久への不信感を抱いたといわれる。



この戦いには、もうひとつ有名なエピソードがある。
蔵田房信の首実検に、9歳の幸松丸も立ち合わされたというのがそれ。

幸松丸が房信の首を見たところ、房信の眼がぎょろりと動き、
歯を3度噛み鳴らした。
あまりの恐ろしさに幸松丸は卒倒し、そのまま息を引き取ったという。


これの真偽はわからない。
が、吉田郡山に戻った直後に幸松丸が発病して7月15日に
亡くなったというのは事実。

陣中で何があったにせよ、参陣による多大なストレスで
幼い命を縮めた可能性は充分にある。


先代の興元には、幸松丸の他には女子が1人あるだけ。
9歳の幸松丸には、当然子はない。

直系の男子で家督を継ぐ者はいなくなったので、
元就が次代の当主となる訳ですが・・・

ここでは書きませんが、元就の家督相続に関しても経久が絡んできた。
それをするりとかわして当主の座に着く訳だけど、
その後も尼子の思惑は元就に絡みついてきて、ついには
自分の弟と家臣を粛清するという事態に発展した。

この辺からも、経久の元就に対する警戒心が垣間見える。



元就さんも、私と同じく結構執念深いタイプだからね泣き笑い
経久が用意したアジリティーをひとつひとつクリアしていくたびに、
元就の中に暗い炎が静かに燃え広がっていったんじゃなかろーか。

もちろん戦は感情論じゃないし、幸松丸が仮に参陣しなかったからといって
そのまま長生きできたかどうかはわからない。

けど、この戦いでひとつの流れが確実に変わった。


経久は、幸松丸の参陣を強要したともいわれる。
もしそうだったとしたら、アジリティーという名のジャンプ台の他に、
経久自身も知らぬ間に元就飛躍のチャンスを自ら与えてやったようなもの。

さすがと言うべきか、元就に警戒心を抱いた経久の目は確かだった。
けど、詰めが甘かった。

その詰めの甘さが元就の成長に力を貸し、
のちに自らが築いた帝国を滅ぼす強力なライバルを育てる要因を作ったことを、
鏡山にいる経久はまだ知らない。

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最終更新日  2013年01月16日 22時00分55秒
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