あちこちで、「1本のホウキが生んだ、世界の奇跡」のお話を見かけます。
あ~~、それなら読んだことあるという方も多いのではないでしょうか?
こういうお話です。
☆「1本のホウキが生んだ、世界の奇跡」
ヘレン・ケラー。
何も見えず、何も聞こえず、何も話せない。完全な闇。。。
三重苦というとびきりの障害をもちながら、アニー・サリバンという最高の教師の力を得て成長し、世界中の福祉に貢献した、誰もが知るとびっきりの偉人です。
彼女の力が、どれほど世界中に莫大な力をおよぼしたか、どれほど多くの人々を救ったか、今さら語るまでもないでしょう。
「なぁんだ~、よくある偉人のおはなし?」
いえいえ、これは、ニュー・イングランドにある精神病院で働く、名も知れぬ、普通のお掃除のおばさんのお話です。
彼女のはたらく病院の地下室には、「緊張型精神分裂病」と診断された10歳の少女の患者がいました。何に対しても反応を示さず、ただ暗い地下室のベットにうずくまっているだけ。少女は、もう回復の見込みはないと、考えられていました。世界から見放され、一言も話すことなく、胎児のように丸まったまま、決して動こうとはしなかったのです。
以前はとても可愛らしい少女だったのですが、いまや日々、やせ衰えていくばかり。。。
彼女は、そんな少女の個室のまわりを、毎日掃除をしにやってきました。そして、ドアの下のすきまから、食事をホウキの柄で、中に押し込みます。彼女にも同じくらいの歳の娘がいたせいか、少女を不憫に思いますが。。。そこはただの掃除婦、もちろん、何もしてあげることはできません。
そこで彼女は、せめてそこを去る前に、うずくまる少女の肩を、ホウキの先でそっとつついてあげることにしました。
「ねえ、あなたはひとりじゃないんだよ? 少なくとも、ここにあなたを気にかけている人間がいるんだよ」
という思いを伝えたかったのです。
掃除のおばさんには、この程度のことしかできませんでした。ほんの小さな愛の実践です。ホウキの先ほどの。。。そんなことしかできませんでした。でも、その程度のことしかできなくても、ただただ、伝えたかったのです。だから、くる日もくる日も、彼女は、ホウキの先で、その少女を優しくつつき続けました。
そして、何週間か経ったある日のこと。小さな変化が起こりました。
ただ死を待つばかりだった少女が、なんと、自分の手で、食事を受け取るようになったのです。
さらに時が経つにつれ、少女は座ることもできるようになり、掃除婦のおばさんと話をすることまでできるようになったのです!
こんなことって、ありえるのでしょうか? 偉いお医者たちでも、完全にお手上げだったのに?? こうして少女は、やがて奇蹟ともいえる回復をとげることができたのです。
それから何年か経った、あるうららかな春の日。
その精神病院の院長は、アラバマ州のひとりの紳士から、ある依頼を受けました。
その紳士のお子さんが、重度の障害児で、世話をしてくれる人を探しているというのです。
その頃、あの奇跡的な回復をとげた少女は、20歳になっていました。院長は、自信をもって、その彼女を、紳士に紹介しました。
彼女の名は、アニー・サリバン。
そう、ヘレン・ケラーの偉業を生みだした教師です! 地下室でただ死を待つしかなかった、あの少女が、です。
ヘレン・ケラーの世界的偉業。それは、アニー・サリバンが、創り出したということは、今や万人が認める所です。
でも、ちょっと思い出してみてください。そのアニー・サリバンを創り出したのは、誰なのでしょう? ヘレン・ケラーとサリバンの業績だけを見ていると、見落としてしまいがちですが。。。しかし、その成功の「真の生みの親」は、誰だったでしょうか? どんな大木も、どんな大企業も、どんな大成功も、もとをたどれば、すべて、ちいさな種から始まっていることを忘れたくないなと、私などは、思ってしまいます。
あなたも、そう思ってくださると、嬉しいです。
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でも、このお話、本当にそうなんでしょうか?
水を差すようで悪いけれど、実際、アニー・サリバンの置かれた状況は違うものだったようです。
社会福祉法人 東京ヘレン・ケラー協会の2007年3月号に、その検証記事が掲載されています。
http://www.thka.jp/shupan/journal/200703.html#feature04
実際のアニー・サリバンは、ホウキで突かれなかったかもしれないけれど
でもエッセンスとして、人に関心を持つこと、人が喜ぶことをすること、自分がいる場所で。
それを受け取って、活かせばいいのだと思います。
ただ、なんでも、盲信するのも危険なことだと感じるので、ちゃんと調べることも大事ですよね。
人を喜ばせるホウキの形はそれぞれ。
明日、私は何ができるのだろう?
そして、あなたのホウキは何ですか?