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カテゴリ:食
「食」って大切だ。
大阪より宇部に移り一年。 自然農に精を出し、手を加え過ぎずにできた旬の野菜。そこらに生えている野草や海藻。新鮮な瀬戸内の魚介類。 それら、天地(あめつち)の恵み、命をいただき、改めて想う。 からだが変わり、鈍っていた感覚が戻ってくる。 鈍っていたことにすら気づかなかった感覚。それはもはや麻痺に近い。 スーパーのレジに並ぶ時、つい買い物客のかごの中身とその人を観察してしまう。 そこには明らかな相関関係を診ることができる。 食と病の、といおうか、食と人間形成の、といおうか。 便利な時代で、スーパーに行けば、ものすごい量のもの、モノが溢れている。 しかし、その中で、生きていくために本当に必要なものはどれだけあることか。 食品であれば、命溢れる食材は、ほんの一握りであるように想う。 野菜一つとっても、形は立派だが、どうにも今日の日本と同じく、外剛内柔。 食養生の指導でも、にわかに「野菜食がいいですよ」とは言いがたい現状(農薬はもちろんだが、与えすぎた肥料が、野菜に、土にかけた無理が、からだに害を及ぼす)。 そして、感覚を侵し誤魔化す化学調味料をはじめ、化学合成物質にまみれた食品群。 命を育むどころか、溌溂と輝くはずの命を蝕む素。 量の問題ではなく、質という意味で、日本はとっくの昔から食糧危機に瀕している。世代を超えて濃縮された毒が、アトピーなどのアレルギーをはじめ、数々の病を生み出している。 震災後、「自粛」という言葉をよく耳にする。 何が本当に必要なのか。何が本当に大切なのか。自粛の賛否を論ずる前に、そういうところを今一度問うてみては如何か。 その先に、原発に頼らずとも、かなえることのできる真に豊かな世界、暮らしが観えてくるだろう。 命を蝕むモノ、害するモノ、誤魔化すモノ。それらを生み出し、管理するために、膨大なエネルギーが使われる。そして、それをまかなうための原発という更なる脅威…そんな悪循環に気づき、本(もと)を断つ、意識改革の時。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.04.08 14:28:54
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