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カテゴリ:海、釣り
今度は少し遠くのきれいな海へ、ということで、下関の日本海側、吉母、という海水浴場へ。
長男が1歳の頃行って、それきりだから、もう5年ぶりぐらいか。もの凄くきれいだった印象が残っていた。
車をとばしておよそ一時間半。
先日行った自宅近くの瀬戸内海の海に比べると、砂から水から確かに比ぶるでもなくきれいではあったが、更に比べものにならないほど、人で混んでいたことに驚いた。夏休みの休日だから、当然といえば、当然か。
同じ海水でも、あがったあとのベタつき感が違うというのは、新たな発見だ。
さて、そこでも、子どもたちは延々と遊んでいたが、日本海側、というのは瀬戸内海と違って、勾配が急だ。つまり、深くなるのが近いため、子どもはそう遠くへは行けない。
前回は持っていくのを忘れた浮き輪を今回は使用。 しかし、浮き輪というのはなかなか曲者である、と知る。 というのは、浮き輪をしていると、子どもは大丈夫と思って、足の立たないところまで行ってしまうからである。 気をつけなければ、これが事故のもととなる。
浮き輪よろしく、便利な道具、というのは、あたかも自身の能力が上がった、と勘違いさせる魔力を秘めているように思う。
そこに生じる、実際との誤差が、時にストレスを生んだり、事故を誘発したりするのではないか。
例えば、電動頼みで仕事をしていれば、停電の時、仕事があまりにも捗らず、イライラするかもしれない。 自動車事故然り、スマホで事件に巻き込まれる然り、だ。
道具があって、うまくいく、に慣れていると、うまくいかない、に直面した時にもろい。 そこに、うまくいかない時は、さらに便利な道具に頼る、という思考回路を植えつけられると、道具を使う、というよりは、道具に使われる、道具の奴隷ができあがる。 今の時代、生まれながらに便利さに囲まれて育てば、どうなるやら、と思う。
更には、道具・機械は、操作を誤らなければ、おおむね言うことを聞いてくれるが、人との関係はそう単純ではない。そこらへんの違いを認識しておかないと、人間関係自体が常にストレス、ということにもなりかねない。もっとも、認識しているつもりでも、そこにさえ、実際との誤差が生じてくるのが怖いところである。
身の丈を知らず、身の丈を超えていることも知らず。 というのは、大きな視野で見れば、電気を湯水のように使って、危険な原発に知らず依存している現状もまた然りだ。
夏休み、子どもと全く道具を使わずに生活してみる、というのも自由研究として、あり、か。
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Last updated
2017.08.04 10:02:57
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