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カテゴリ:明響庵月刊誌より
明響庵月刊紙「からだの自然」9月号より抜粋記事を紹介します。 今年は九月に入って、それまでの暑さが嘘のように、急に涼しくなりました。
例年の如く、立秋の辺りから、暑くとも秋の感はあったのですが、ここまで急に気候が変わると、気持ちも急にしんみりしやすいのか。今年もあと4ヶ月きったか…などと普段は思いもしないことが頭に浮かびます。
ところで、同じあと4か月でも、あと4ヶ月しかない、というのと、あと4か月もある、というのでは、心情が違う、その後の行動も当然違ってきます。
同じように、身体の変化に関しても、改善を、少しでもよくなった、と喜ぶか、それとも、少ししかよくならなかった、と悲観するか。あるいは、まだ悪い、とらえるか。などなど。
とらえ方、表現は人さまざまなのですが、とらえ方、そして、言葉というラベルのつけ方によって、大きくその後の展開は変わってきます。
クライアントを見ている限り、少しの改善でも素直に喜べる人の方が、圧倒的に治癒は速い。きっと、その方がよくなる流れに乗りやすいのでしょう。
私の行う整体にしても、相手の微妙な身体の変化を感じとり、そこから流れに乗って、変化の増幅を助けるものです。
そんな具合で、身体の治癒力を活かしきれないのは、物事の認識といった、頭の問題と関わりが深い。
例えば、子どもの頃、学校のテストで、100点しか許されない家庭と、30点が35点になったことを喜ばれる家庭、あるいは点が下がったとて、元氣に遊ぶことを喜ばれる家庭。それぞれに異なる親の価値観に従い、子どものもののとらえ方も違ってきますね。
こういう例を出すと、その中のどれが良い、と考えてしまいがちですが、そうでは無くて、様々な価値観に触れていく、ということ自体が物事のとらえ方を柔軟にします。様々な角度からとらえられるぶん、気づきも多い。
身体のことにしても、ある部分の痛みは変わらなくとも、他の部分で何か改善していることに気づき、それを喜べれば、身体全体としては、それをきっかけに、また様々に変わっていって、ある部分の痛みも軽減されます。
それを、痛みのある部分だけの変化に、視点を狭く固定してしまうと、実際は起こっている身体の変化を認められない。それによって生じる焦りや不安が、ますます痛みを強いものにとらえてしまう、ということがあります。
生きてるだけでまる儲け(と、誰かが言っていたような)。 究極のところ、感じる(思う、という頭のはたらきではない)ことができれば、治癒力は最大限に発揮されます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.09.10 17:15:24
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