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カテゴリ:生活
社会がこういう状態だと、「情報が多過ぎて、何が、どれが正しいのかわからない」とこぼすクライアントさんは少なからずいらっしゃる。
そういう方のおなかに触れると、みぞおち近くが緊張しており、下腹の力が抜けている。
なるほどなぁ、と思う。頭が疲れて、のぼせ気味、頭寒足熱の反対、という状態だ。
多くの情報に対して、どれが正解か、という看方をするのは、そもそも道に迷うもとである。勉強熱心な方は、正解の確証を得んがために、更に多くの情報を取り入れ、混迷を深めていくことだろう。
一つの事象に対し、例えば、今回であれば、新型コロナウィルスに対し、本当に様々な情報が発信される。一見、正反対の情報も飛び交う。そのことが、受け取る側にしてみれば、「どっちやねん!?」と混乱のもとになってしまいがちだ。
しかし、「一見」と書いたのは、その二つのどちらかが正しい、というものではなく、正反対とも限らないからだ。更に言えば、発信側にしてみれば、どちらも正しい。何のこっちゃ、と思われるかもしれないが、発信側の視点によって、同じものを観ていても、情報の表現は異なってくる、ということだ。
群盲象評、というインドの寓話がある。
では、実際のところ、この膨大な情報量に対して、どう対処するのか。
大事なポイントは少なくとも2点ある、と考えている。
一つは、自分が情報を選ぶ、という認識をはっきりもつことだ。
受け身になって、膨大な情報の消化不良に陥るのはしんどい。
思い浮かべるのは、フォアグラである。
フォアグラは、腹も空かしていない、鴨に無理やり餌を詰め込んで、脂肪肝を人工的に作り出すことで生み出される。
情報は食料と似ている、というか、ある見方をすれば、食料もまた情報、とも言える。身体を形作る情報が含まれている、という見方もできるからだ。
自分が情報を選ぶには、自分はどうしていきたいのか、という意志が不可欠である。その意志が明確である程、選ばれる情報は精査されるだろう。
自分はこういう家を建てたいから、こういう素材、こういう道具を選ぶ、というふうにだ。
こうしたいという意志の表れた行動の結果、身体が食べたいものを選択していく、というのもまた然り。
逆にあまり腹が減っていない時、そちらに意志が向かない時は、食べるものを選びにくい、という経験はないだろうか。
然るに、情報は自分の未来を築いていく道具、であり、どう使っていくか、が大事と言える。
逆に、自分はどうしていきたいのか、が乏しければ、受け身になる結果、情報は自らの枷にしかならない。
そんなことなら、このご時世、情報源を極力減らすように努めた方がよいのではないか、と考えるが、如何なものだろう。 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ 整体処 明響庵(めいきょうあん) https://ja-jp.facebook.com/meikyoan/ https://page.line.me/vtf9624a ご予約・お問い合わせ0836-39-6275 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
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Last updated
2020.04.21 21:20:05
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