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カテゴリ:生活
ところで、情報の正誤にとらわれていると、知らずはまっている落とし穴、というのが存在する。
それが、前回のブログで触れた、情報処理のポイントその2である。
これはブログなどで顕著に表れているのだが、一見同じ内容、方向の情報が記載されているにもかかわらず、読み終わった後に、どよん、とするようなものや、元氣が出るもの、気持ちがひき締まるもの等様々あるものだ。
さて、この違いは何からくるのか。
それは、発信者が情報という媒体にこめている、思念、とでも言えるものだ。
ネガティブな方の例をあげれば、発信者の自己顕示、不安の発散、相手をコントロールしたい、という願望、時にただの愚痴、ぼやき、ということもある。
先日、知り合いから、某医療センターの医師からこんなメッセージが送られてきた、というものを見せていただいた。
要はそこの現場が新型コロナの影響で極めてたいへんだ、先行き不安、という話で、だから人に極力合わないように呼びかけてくれ、ということだった。
確かに今この状況、医療従事者はたいへん以外の何ものでもないと想像できる。いや想像を絶していることだろう。
しかし、そのメッセージから臭ってくるものは、俺はこんなに頑張っているんだぜ、という自己陶酔の混じった顕示欲。もちろん、その奥には膨大な不安が圧縮されていた。
…というのは、あくまで私のひねくれた嗅覚による洞察だが。
ただ、情報をそうやって選別できる、自分のものさしをもっていると、便利ではある。 これを文面の情報通りにまともに受けては、不安をもらって、更にまき散らす、ということになり、自分も周りも追い詰められていくだけだ。少なくとも、私はそんなことを望んではいない。だから、そういう情報は選ばない。当然、シェアもしない。
医師等、発信者の肩がきにのせられて、情報を鵜呑みにしてしまう人は多い。 しかし、自分の現場が全て、という視野狭窄の状態には落とし穴がつきものだ。 もちろん、前回のブログに記したように、それとて決して間違った情報ではない。発信者にとっては間違いなく正しい情報である。
しかし、それが受信側にとって、有益に働くか、というと、また別問題だ。正しい=人を活かす、とは限らない。
さて、上記のような嗅覚は、私の場合、自分がブログを表し、その奥に自分の顕示欲があるな、とか、これは愚痴だな、と吟味していく過程で、育ってきたように思う。
他人の振り見て我が振り直せ、という言葉があるが、逆に、自分の行動に対する注意が相手を観る目を養う、ということもある。
ともあれ、情報処理のポイント2、としては、情報の正誤にとらわれず、感覚的に気持ち悪いものは避ける、ということが考えられる。情報の文字面以前に、その奥に込められたものが、身体に作用する。 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ 整体処 明響庵(めいきょうあん) https://ja-jp.facebook.com/meikyoan/ https://page.line.me/vtf9624a ご予約・お問い合わせ0836-39-6275 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
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Last updated
2020.04.22 22:24:30
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