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カテゴリ:逍遥日記
ブログ管理のIDを変更したら、入れなくなって焦りまくり!
そうこうしているうちに2週間も過ぎてしまい、間が開いてしまいました。 寒いですね・・・。 東京で半そでで過ごしていたのはかれこれ1ヶ月前のこと。(すでに懐かしい) 札幌に戻ってちょっと経ったころのこと。 あまりに天気が良かったので、お昼休みに大通公園を散歩することにしました。 最近は食のイベント会場としての役割が強く、食べるために訪れるひとで溢れかえっているイメージでしたが、本来ののんびりとした都会のオアシスである大通公園を味わうのはなんだか久しぶりです。 小学3年生まで大通でバスを乗り換えて通学していたわたしには、この場所に立つと懐かしい人たちのことがよみがえります。 いつも虫のバッチをくれた同じバスに乗るおじさん。 そしてバスを待つ間、新聞売りのおばあちゃんの横で一緒に新聞を売る真似事もしました。 そのおばあちゃんのことは「ちよおばあちゃん」と呼んでいました。 指先を切った軍手をしていたのが今でも印象に残っています。 当時朝刊1部の値段は50円だったように思います。 たしか100円貰って50円のおつりを渡していたような気がします。 昔は小さな子供を見守る大人の目がちゃんとあったのです。 優しくしてくれた二人のことは40年が過ぎても記憶に残っています。 引越しのときにバスに乗らなくなることをちゃんとお話ししてお別れしたのか、それとも引越しに浮かれてそのままになってしまったのか・・・。 どう考えても思い出せません。 そんなことをぼんやりと考えながら2丁目を歩いているとこれまた懐かしいものに出会いました。 この水飲み台で小学生のころに何度も水を飲んだ記憶がよみがえって来ました。 「ベンソンの水飲み」というプレートがあります。 もう本来の役割を終えていまはモニュメントとして飾ってあります。 1966年(私と同じ年!)に姉妹都市ポーランドから贈られたものでした。 1900年頃のポーランドのお話しです。 仕事のあと飲料水の代わりにビールを飲む労働者を見て、それをやめさせたいと常日頃思っていた雇い主ベンソンが、ある日のどが渇いたと泣く少女を見て哀れに思い、このふたつを解決する方法として水飲み場を市に寄贈したということがありました。 公園などに20箇所以上設置された水飲み台はいまでも市民に大切にされています。 その水飲み台と同じものが姉妹都市になった7年後にポーランドから寄贈されたそうです。 わたしがこの水飲み台でのどを潤していたのは、更にその7年後くらいのお話し。 今日は会社を出て30分の間に40年もタイムスリップをしてしまいました。 他人の小さな子に対して気を配ったり、泣いている子を見て哀れに思って何かしてあげようと思ったり、そんな【本当の大人】に自分は成長しているのだろうか? ふと考えてしまいました。 |逍遙館倶楽部代表| 「逍遙館」のカードはこちら! 100年住宅「逍遙館」のブログを読ん頂きありがとうございます。 入居を考えられているみなさん、こちらをどうぞ! → 逍遙館公式サイト ブログランキングに参加しています。 マークをポチッとお願いいたします! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014年10月17日 23時51分37秒
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