カテゴリ:青春時代「アメリカンシネマ」
100回連載予定のこのコラムの後半を開けるにふさわしく、親友(僕の妄想ワールドの話ですよ)スティーヴン・スピルバーグの出世作「JAWS」
1975年、アメリカはようやくベトナム戦争を終結させることが出来ました。 アメリカの敗戦という形で。 これに前後して、ベトナム関連映画の名作が次々誕生し、アメリカンニューシネマは完成と終焉を迎えつつありました。 そして、止めを刺すように颯爽と登場したのが、スピルバーグでした。 「JAWS」撮影時の彼はまだ27歳。 映画監督としてはありえない若さです。 ヨーロッパでは、ルイ・マルやフランソワ・トリュフォーなど、若くして才能を開花させた名監督もいますが、アメリカの“商業映画(映画はたいがい商業映画なんですが)”でこれだけの抜擢をされた監督はちょっと思い出せません。 そう、「JAWS」はユニバーサル社がヒットを狙って製作した、計算された映画なのです。 派手にTVコマーシャルをいれ、ファーストフード店とタイアップし関連グッズを販売し、マスコミにどんどん顔を出しました。 今ではすべてお馴染みの宣伝方法ですが、この時は斬新で、革命的な出来事でした。 それまでの映画界はステータスなもので、TVなどの衆愚的な世界とは柵を設けて隔てていました。 それが、これを機に儲けるためなら何でもありに様相を変えていきます。 明らかに映画界とは違うところから人材が流入してきた感があります。 映画作りにまず、市場マーケティングが優先され、ヒットさせるためのノウハウが蓄積されていきました。 結果、同じようなパターンが繰り返され、脈打つような映画人の情熱は徐々に消えていってしまいます。 80年代以降の映画を楽しんでいるファンにはどうでもいいことなんですが、僕らには、少し考えを改めるための時間が必要になりました。 そして、このシステムを導入して、日本では“角川映画”が誕生し、日本の映画がボロボロになっていきます。 ネガティヴな展開になってしまいましたが、別にスピルバーグに罪はありません。 時代が彼を求め、彼は選ばれた人として期待以上の結果を残しました。 「JAWS」は1億3000万ドルという、興行収益映画史上1位の大記録を達成しました。 これはジェームズ・キャメロンの「タイタニック」に抜かれるまでトップだったと思います。 でも、映画のヒットは宣伝の力だけではありません。 映画的に素晴らしい出来だったのです。 この成功に当て込んで次々と“モンスター・パニック映画”なるものが製作されますが、それら2番煎じ物とは全然違います。 人物の描き方が非常に巧みで、役者もそれに応えて存在感を良く出しています。 スペクタクルが呼び物でも、やはり映画は人物が見せ所。 人を描くということにどれだけ腐心したかで結果が出ます。 初期の頃のスピルバーグは結構細かい所まで気を配っています。 話を進めるための無理やり感なく、ちいさな前振りをちりばめています。 さらに、水中から鮫の目になった映し方や、恐怖を盛り上げる手法など随所に才能を輝かせています。 浜辺で、監視するロイ・シャイダーが鮫発見の報を聞いたときの、“逆ズーム”で迫った手法を初めてみた時は、思わずうなってしまいました。 スピルバーグの黒沢好きは有名ですが、これを見るとヒッチコックもかなり研究しています。 って言うか、黒澤もヒッチコックも、映画監督を目指すなら当然すべて知っていなければだめですよね。 その点ではスピルバーグは優等生です。 ちゃんと勉強した人ならちゃんとできることを、ちゃんとやっているとでも言いましょうか。 特別奇をてらった撮りかたはせず、オーソドックスな手法を積み重ねつつ、新っぽく見せる。 あまりしつこい味付けにしないところが長く愛される秘訣かもしれません。 以来、なんと現在まで、スピルバーグは世界の映画界のトップに君臨します。 メガホンを取らずに製作に周り、数をこなしていくやり方で、とにかく凄い数の作品を発表し続けています。 今話題の「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」の製作もスピルバーグです。 まさかここまで巨大な存在になるとはこの時はまだ解りませんでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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